尾張氏の謎を解く その65


今回は川上麻須や丹波道主命が創建したとされる神社を2社ほど見ていきます。まず川上谷川河口に位置する熊野神社から…。熊野神社は甲山(兜山)の山頂に鎮座しており、熊野郡の郡名の元になりました。甲山は流紋岩の溶岩からできている溶岩円頂丘(トロイデ)で、標高は191.7mと低いものの、独立した円錐形の山容を持っています。


甲山の位置を示すグーグル地図画像。

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甲山。

実に秀麗な山容です。海に突き出したような形となっていますので、水盤に据えた水石のようにも見立てられます。

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もう一枚。

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伝説の人喰岩。確かに人喰岩のように見えます。

熊野神社に行こうと思いましたが、車では登れないこともあり、時間的に無理なので諦めました。詳細は以下の玄松子さんのホームページを参照ください。
http://www.genbu.net/data/tango/kumano_title.htm

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甲山の地図。

画像の現在地辺りから登山するルート以外に、山頂へと続くもう一本のルートもありますが、車での通行は遠慮してほしいとありました。

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現在地辺りから撮影。なかなかの美景です。

熊野神社の由緒は「丹後舊事記」を参照ください。コマ番号98となります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175321

熊野神社。川上庄甲山村。
祭神 天神七代地神五代 熊野四十八王子 大膳職豊宇気持命 同豊宇賀能売命。
當社は崇神天皇十年癸巳九月勧請也当国土形里国府に定り道主命下向ましまして當郡川上麻須郎の女を娶り給ふ是に四柱の女君有て五十狭茅尊の皇后次妃と成のよろこびのあまり将軍道主命の勧請にて宝殿は川上麻須郎造立し玉ふ
…以下略。

当社は崇神天皇10年癸巳(みずのとみ、きし)9月の勧請である。当国土形里が国府に定まり丹波道主命が下向されて、当郡の川上麻須郎の女を娶り、四人の女の子が生まれて垂仁天皇の皇后次妃となった喜びのあまり、将軍道主命が勧請した。宝殿は川上麻須郎が造立した。

土形里(ひじかたのさと)に関しては最も重要な場所と考えられるので、後の回で詳しく検討します。丹波道主命は川上麻須の女を娶り、二人の間に生まれた子である日葉酢媛が垂仁天皇の皇妃となりました。熊野神社はこれに大喜びした丹波道主命が勧請したもので、宝殿は川上麻須の造立とのことです。川上の庄においては丹波道主命(彦坐王)と川上麻須がセットになっていると理解されます。

この熊野神社は丹波道主命(彦坐王)の動きからすると紀伊の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)ではなく、出雲の熊野大社から勧請されたものと考えられます。

祭神に豊受大神と関係しそうな大膳職豊宇気持命、豊宇賀能売命の名前が見えています。いずれも豊受大神とは微妙に名前が異なり、どう考えればいいのか難しそうです。この地域では豊受大神はまだ主役として登場していないので、もっと後の回で詳しく見ていくしかありません。

甲山の山麓には丸田神社が鎮座しています。鎮座地は丹後市久美浜町甲山亀石1313。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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鳥居。

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石段と拝殿。

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拝殿。

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解説板。内容は以下の通り。

式内社 丸田神社 大字甲山小字亀石
祭神 宇氣母智命(豊受)
由緒 当神社の創立は古く垂仁朝の時川上麻須の勤勧請による。当社は神体山甲山山上の式内社熊野神社(奥宮)の里宮として大膳職(食物)の神を祀ったもので、式内社中丸田神社と言うは当社のみである境内社には蛭子神社が祀られている。当社は背後に甲山の磐座(人喰岩)を拝し前面の鳥居燈籠参道は海(現在は川)に向って造られている。神社と磐座との中間に古代祭祀遺蹟があり正面の対岸には矢田神社の御旅所拝岩がある。尚甲山(兜山)は神山の転訛であり亀石は神石(人喰岩)の転訛と言われる。

こちらも川上麻須の勧請による神社で、しかも祭神は宇氣母智命(豊受)でした。甲山は久美浜湾内に入ってくる船を監視するのに適した場所にあります。ここに川上麻須の拠点の一つがあるとすれば、川上氏は海部氏と同様の海人系豪族と考えられます。

解説板には、正面の対岸に矢田神社の御旅所拝岩がある。と記載されていますが、それらしき場所は見当たりません。矢田神社は川上谷川を遡った久美浜町海士に鎮座しており、その御旅所が甲山近くではやや遠すぎる気もします。

前回及び今回の検討から、川上谷川の上流部と下流部のいずれも川上麻須に関係した神社だと確認できました。既に書いたように、川上谷川流域には川上麻須の勧請による神社が数多くあります。川上の庄における海部氏の存在感はかなり薄そうですが、次回は海部氏系と思われる神社を探索します。

           尾張氏の謎を解く その66に続く
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