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歴史に秘められた謎を解く その8

歴史に秘められた謎を解く
07 /23 2010

巨丹地方やその文物は後代の皇帝たちにとって、限りない憧れになりました。伝説の始祖皇帝も巨丹から到来したようです。とすれば、巨丹の前に伝説の始祖皇帝である伏羲(ふっき)・女媧(じょか)・神農・黄帝の四人を調べる必要があります。

まず伏羲・女媧ですが、彼らは夫婦で、『旧約聖書』のアダムとイブ、『古事記』の、イザナギ・イザナミと同様の関係になります。伏羲にまつわる伝説では、次のようなものがあります。

伏羲と女媧が、雷神(龍)からもらった歯を土に埋めると、土の中から新芽がでてきた。その新芽はみるみる大きくなり、たった一日で花が咲き、実が実った。それは大きな瓢箪だった。やがて天まで溢れる大洪水が起こり、大きな瓢箪の中にいた伏羲と女媧だけが生き残った。二人は瓢箪の中に隠れて、洪水のあいだ波間に漂い、再び地上に降り立った。

伏羲は瓢箪で洪水伝説まであり、瓢箪はノアの方舟と同じものと考えられます。しかも、伏羲は葫盧(ころ)ともいわれ、これは避難していた『瓢箪』を意味しています。また伏羲は庖羲ともいわれ、これは方舟のことです。よって方舟=瓢箪となります。

伏羲と女媧の伝説は、シュメールの方舟型洪水伝説と同一バージョンであり、この両者はシュメール系と判断されそうです。しかし、洪水伝説は創世記の中にもあり、伏羲は蛇身(ヤハウェ神を象徴する)で、牛神(シュメール系の神)であるスサノオや神農、牛頭天王とは異なっており、この点が不整合となっています。多分、巨丹における伝承の成立過程でシュメール系と秦氏系がミックスしたのでしょう。

注目すべきは、河童の嫌う瓢箪がここにも出現していることです。河童が嫌い、伏羲でもあり、方舟でもある瓢箪。瓢箪には隠された意味がありそうです。

ちなみに、伏羲は陰陽思想の源流にもなっています。伏羲がシュメール系とすれば、中国起源とされる陰陽思想も元ネタはメソポタミア地方となります。陰陽思想は中国起源かと思われていましたが、その源流はメソポタミア地方にあったのです。

次が神農です。神農氏の姓は姜(きょう、羊の女の意)で、これは彼が遊牧民であることを示しています。これら伝説の始祖皇帝は、後世になってシルクロードと呼ばれたルートを経由し中国に到来、彼らの子孫たちが日本に渡来したと考えられます。

だから平安京(=京の都)とは姜の都(シュメールの都)であり、かつエルサレム(エルサレムはヘブライ語ではエル・シャロームであり、意味は平安京となります)でもあったのです。伏羲と女媧の伝説にシュメール系と秦氏系のミックスがあるのと同様に、平安京にも二重の意味が隠されていたのです。

注:エルサレム=平安京説は日ユ同祖論で既に語られています。

シルクロードは大別すれば三つのルートになります。そのうちで重要なのが、西域南路。これは敦煌~楼蘭~若羌(チャルクリク)~民豊(ニヤ)~和田(ホータン)~莎車(ヤルカンド)~喀什(カシュガル)へと続くルートで、カシュガルで天山南路と合流し、パミール高原を越えローマに至ります。

上記ルートから、姜姓の神農は西域南路の巨丹より若羌(チャルリク、羌は羊の男の意)を経由して中国に到来したと考えられます。また『史記』によれば、炎帝神農は姜姓である。(中略)人身牛首で、姜水で育ったため、姜姓になった、とあります。

ここで、姜水とは洪水伝説のティグリス川を意味すると仮定しましょう。一般に、姜水は陝西省の渭河支流岐川のことで、ティグリス川とは関係ないはずですが…、陝西省渭河の場所を見てください。陝西省はシルクロードの入り口に当たることから、神農は西方からはるばるここにやって来たことになります。

この川の名は元々岐川でした。であれば、改めて姜水などとする必要はないはず。岐川を姜水としたのは、神農族がシュメールから巨丹経由到来し、ここを故郷にちなんで姜水としたからと考えられます。

また、洪水という文字にも着目すべきです。『洪』の字は水の意味を表すサンズイ偏と、音を表す共(キョウ)からなる形声字になります。洪水伝説発祥地シュメールのティグリス川で発生した洪水の『洪』の字は、従って、姜に通じ、洪水は姜水すなわちティグリス川を意味しているのです。以上から、洪水という漢字はティグリス川の氾濫を元にして作られたと推測できます。

そしてもう一点。『祇園牛頭天王縁起』によると、牛頭天王は須弥山半腹の豊饒国王武塔天王の太子です。須弥はシュメールを意味していますね。

始祖皇帝たちだけでなく、陰陽道や道教などの思想も一緒にシュメールから伝わってきました。道家は伏羲・女媧・神農を源流として、黄帝によって発展継承され、老子が集大成したものです。

陰陽道の部分では、伏羲がシュメールから陰陽思想と八卦を伝え、神農はそれを展開し六十四卦とし、黄帝が集大成しました。『史記』によれば陰陽五行論は彼が定めたとされ、関係の書物には黄帝の名が多くつけられています。

西漢(前漢)期になると金丹道教が流行し、その方術は外丹術と呼ばれました。金丹は、丹砂または朱砂と呼ばれる硫化水銀に鉛、硫黄などを加え、加熱、溶化鍛練して作る不老不死の薬で、外丹ともいいます。この不老不死薬金丹は瓢箪に収められるとか。瓢箪はあちこちに顔を出すようですね。

以上より、道教、陰陽道など日本の深層部に入り込んだ思想の大本は、シュメールから巨丹、中国経由で日本に到来したと考えられます。もちろんその過程であらゆる要素がミックスしたはずです。また、シュメール系や秦氏が中国に渡来する過程で、アーリア系のミトラ教とも習合しました。

巨丹はユダヤ教、キリスト教、ミトラ教、道教、陰陽道などの思想や、河童、玉、水銀、養蚕、胡瓜などの事物の起点か、中継地点になっています。巨丹の鍵は、通過した文物ではなくて、これらを担った人々、つまりスサノオ族=河童、秦氏などにあったのです。

              ―歴史に秘められた謎を解く その9に続く―

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酔石亭主

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