尾張氏の謎を解く その71


しばし中断していた尾張氏の謎解き丹波編を再開します。少なくとも丹波編の最終まで書き続けたいと思っていますが、難問続出でうまく最後まで整合性のある内容を書けるか心許ないものがあります。

さて、川上の庄に多くの痕跡を残した丹波道主命(彦坐王)は、そこから現在の312号線に沿って東に向かいました。どんどん車を走らせると久美浜町佐野に至り、その少し先は比治山峠で、峠を越えれば丹波の謎の核心部へと入ります。でも比治山峠に至る手前、小桑口の信号のところに神社らしきものが見えたので寄ってみましょう。


小桑口の位置を示すグーグル地図画像。

社名表示はありません。信号の北東側が神社となります。矢田八幡神社と彫られた石柱がありました。

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矢田八幡神社の石柱。

矢田八幡神社の社名は海部の里に鎮座している矢田神社との関連を思い起こさせます。矢田八幡神社の祭神は應神天皇、神功皇后、武諸隅命で孝元天皇、内色姫命が配祀されています。

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鳥居。

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急な石段。

ほとんどの訪問場所に急な石段があり歩き疲れてしまいます。

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拝殿が見えてきました。

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本殿。

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扁額。

拝殿下の平場には鹿の顔半分が打ち捨てられており、社日塔の上には鹿の足らしきものが置かれていました。何とも気味が悪いので早々に立ち去りましたが、あれは一体何だったのでしょう。まさか動物の犠牲を捧げているとも思えませんが、では何の意味があって鹿の足などを…。歴史探索のはずが、ちょっと怪談めいた話になってしまいました(-_-;)

社伝によれば、丹波道主命は勅命により山陰地方平定のため丹波国(後の丹後国)に至り、比治の真名井に館を構え無事平定を祈願のため矢田部の部民をして祖神を祀らせたとのことです。実際には平定が無事完了したことのお礼のため、物部氏と思われる矢田部の部民に祖神を祀らせたのでしょう。それは久美浜町に鎮座する神谷神社の由緒や、丹波道主命が川上麻須の娘を妻に娶っていることなどからも推測されます。

また上記由緒には丹波道主命が比治の真名井に館を構えたとあり、「丹後舊事記」にも「比治真名井と(本箇村今の五箇村の事)の間に府の岡と言うところがある。これは将軍道主の館跡である。」と書かれているので、内容面で両者は整合しています。由緒内容とはやや異なりますが、出雲から丹波に戻り川上の庄を出た丹波道主命(彦坐王)の移動経路上に矢田八幡神社が鎮座していると理解されます。

ここから一行は比治山峠を越えて磯砂山と久次岳に挟まれた一帯(本箇村今の五箇村)に入ったのです。「丹後国風土記」逸文の奈具社にはこの辺りを比治里と書いており、以降は一帯を「比治の里」と表記することにします。

           尾張氏の謎を解く その72に続く
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