尾張氏の謎を解く その84


豊受大神を奉じながら比治の里を出た和奈佐夫婦系の海部氏はようやく天橋立の北側にまで至りました。大化4年(648年)のことです。この年に豊受大神が久志比の真名井原の籠の川辺に天下りされ、神籬を起こして奉斎した、そこでこれを籠宮という、と「勘注系図」に記されています。この籠宮こそが籠神社の奥宮となる真名井神社です。早速行ってみましょう。


籠神社と真名井神社の位置を示すグーグル地図画像。

車は籠神社の駐車場に入れました。創建の順序を考慮して先に真名井神社を訪問することに…。駐車場からは少し歩きます。

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外宮大本宮与佐宮と彫られています。

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眞名井神社と匏宮大神宮の石柱。

ここから見える範囲周辺に色々興味深いものが点在しています。まず眞名井神社と彫られた石柱の左手前に、画像では見えませんが、一部マニアの間で有名な石碑があります。

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石碑です。たくさんの古名があります。

眞名井神社 豊受大神元津宮ナリ 古名 匏宮 吉佐宮 与謝宮 一云 天吉葛宮(あめのよさづらのみや) 一云 比沼真名井 一云 久志浜宮 一云 元伊勢大元宮

今ではすべての古名や一云うの名前の意味が理解されます。この石碑、建立当初は上部に籠目紋(六芒星)が刻まれていたことで世間の注目を浴びました。籠目紋はダビデの星であり、日本とイスラエルとの関係を示すもので、日ユ同祖論の証拠の一つとして取り上げられたのです。あまりに騒がしくなったので籠神社の紋である三つ巴紋に変えられて現在に至っています。石碑自体は新しすぎますが、土中に埋まっていたものを掘り起し新しくしたとのこと。元の石碑を見たいものです。

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眞名井神社石柱の裏側。比治の里から持ち込んだ地名である点もよく理解されます。

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匏宮大神宮の裏側。

匏(よさ)の訓が与佐で瓢(ひさご、瓢箪)のことだと書いてあります。この元が天吉葛(あめのよさづら)です。つまり吉→匏→与佐と変遷してきたことになります。他には与謝や余社などの表記もあります。

「丹後風土記残欠」の田造郷の項には関連した以下の内容が書かれています。

巽(南東)の3里ほどの方角に霊泉湧き出した。天村雲命はその泉で潅漑したので、真名井と称する。また、かたわらに天吉葛(あまのよさつら、瓢箪)が生えている。その匏(よさ、瓢箪)で、真名井の水を盛り神饌を調進し長く大神を奉った。それで、真名井原、匏宮(与佐宮)と称する。

こちらの元伊勢与佐宮は「その46」にてアップした笶原神社(鎮座地は舞鶴市紺屋町)を意味しており、祭神は天照大神、豊受大神、月夜見神となります。それぞれ関係の深い3柱の神が祭神となっているのは興味深いですね。残欠の内容を見る限りでは、与佐の語源は笶原神社から発したものとなりますが、創建が籠神社よりも遅く後で形成された伝承と理解されます。同社の位置付けに関しては後の回で検討する予定です。

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石柱の下部。

一名豊受大神宮、古社大明神、真名井奥宮などと彫ってあります。

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天の真名井の水。伝説に見合うアイテムが色々取り揃えられていますね。

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地蔵堂があります。

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解説板。 

非常に興味深い内容が書かれています。でも、本当にここまで津波が来たのでしょうか?これは多分、「丹後風土記残欠」の記事にある大宝元年三月の地震と連動した話だと思われます。この地震で凡海郷のほとんどが水没したとされていますので、それほどの地震が本当に襲ったのなら津波が来たとしても不思議ではありません。

残欠の記事と連動して真名井神社にこのような話がある以上、巨大地震と津波が丹後国を襲ったのは間違いなさそうです。地質調査をすれば証明できるはずですが、そうした作業が行われているのでしょうか?日本海側のこの一帯は原発銀座となっています。仮に残欠の記述が間違いないとすれば、相当危険なはず。是非調査を実行し、必要な対策を講じてほしいものです。

この場所には結構細かく書かれた縁起があります。

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真名井原縁起の解説板。

上古ノ世丹後国未ダ分レズ丹波ト称ス 造化ノ霊勝天梯立眼下ニ連ナリ 内ハ阿蘇海ヲ抱キ外ハ与謝海蒼々トシテ日本海ニ開ク 東ノ海中ニ冠島沓島神容ヲ現シ 天神ノ示現日子日女ヲ祀リテ常世嶋トモ称ス 此処東北ニ神体山ヲ背負ヘル奇シキ一割アリ即チ元初ノ天神降リ来マセル処真名井原ニシテ今太古ノ磐座存ス 東座ハ地上僅ニ現ハルト雖モ生命根源ノ神又御饌ノ神トモ申ス豊受大神鎮マリ給フ 大神ハ宇宙ノ一気発スル大元ノケノ神ニシテ時ニ月神ニ化シ或ハ海神トモ現ジテソノ働キ変幻ス 之ノ神ハ籠宮祝部海部直ノ祖丹波道主王ノ娘八乙女ガ斎キ祭リシトゾ伝フ 瑞兆機ニ応ジテ表ハレ背後ノ山峡ニ狭霧立タバ水気根源ノ玄妙ヲ思フベク 真名井ノ水ヲ手ニ結ビ 又之ノ山ニ藤ノ花咲カバ神霊ノ気醞醸化現シテ芳秀現世ニ寄サシ給フヲ知ル 真名井原ニ神気発スル時風東ヨリ西ニ吹クト云ヘリ ゲニ大神ヲ祭ル神事懿徳天皇四年甲午ニ始マリテ古へ藤祭ト称シ 欽明朝以後ノ葵祭ノ濫觴タリ 之ノ山ヲ天香語山又藤岡山或ハ比沼ノ真井トモ云フハ命名ノ深秘アリテ其ノ心ハ御生レノ神事ナリ 豊受大神東正中ニ鎮マルニ対シ西座ニ鎮マル雄大ナ磐座ハ大八洲国生ミノ元神伊射奈岐伊射奈美二神ノ体ニシテ 日神此ノ処ニ所生スト伝へテ日之小宮ト云フ 伊射奈岐ノ神ハ天浮橋ヲ樹テテ磐座ノ女神ニ通ヒ 以来之ノ磐座ヲ鶺鴒石トモ申シ岐美二神和シテ坐ス 即チ天橋立ハ神人通行ノ梯ニシテ古ヘハ籠宮ノ境内参道ト為ス 神代ニ天上ナル天真名井ヲ挟ミテ日神素尊誓約シテ三女神五男神ヲ生メリ 其ヲ地上ニ求ムレバ之ノ真名井原ナラムト伝フ 実ニ此ノ処両個ノ磐座ハ天地日月水火陰陽併祭ノ源基ニシテ 民族ノ霊覚ノ象徴大和心ノ発祥ナリ 崇神帝ノ御宇天照大神倭ノ笠縫邑ヨリ真名井原ニ遷移シ 豊受大神ト同殿ニ鎮マリ吉佐宮ト申ス 二神ハ高天原ノ霊契ニ依リテ離ル可カラザル事 一神ニシテ二座二神ニシテ一座ノ秘傳厳トシテ籠宮ニ存ス 是籠宮ヲ元伊勢ト申ス事ノ元ナリ 中書ニ曰ク天子ノ大社ハ必ズ霧露風雨ヲ受ク以テ天地ノ精気ニ達センガ爲ナリト 真名井社今ニ神代ノ風儀ヲ遺ス 天下萬民心アラバ来リ詣デテ世界平和ヲ祈リ 灼然ノ霊気ニ浴サレン事ヲ  平成二年庚午旧五月五日

長いし読みづらい縁起です。実は「元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図」に全文が掲載されているので、何とか書き出せた次第。必要と思われる部分のみを以下に記載します。

この場所は東北に神体山を背負う位置にあり、元初の天神が天下った真名井原であり太古の磐座が存在する。東座は生命根源の神、御饌の神とも言う豊受大神が鎮座し、この神は時に月神に化し、或いは海神とも現じその働きは変幻する。この神は籠宮祝部海部直の祖・丹波道主王の娘八乙女が奉斎すると伝わっている。

この山を天香語山又は藤岡山、或いは比沼ノ真井とも言うのは命名の深い秘密がある。崇神天皇の時代に天照大神が笠縫邑から真井原に遷座して豊受大神と同殿に鎮まり、これを吉佐宮と言う。二神は高天原の霊契により離れられないこと、一神にして二座、二神にして一座の秘伝が厳として籠宮に存在する。これが籠宮は元伊勢と言うことの元である。

上記の事実関係はさて置き、色々興味深い内容が書かれていますので、できれば原文をお読みいただき御参考としてください。特に、豊受大神が時に月神に化し、或いは海神とも現じと書かれた部分は、今まで検討してきた内容と一定の整合性を示しているように思え、実に興味深いものがあります。

「崇神天皇の時代に天照大神が笠縫邑から真名井原に遷座して豊受大神と同殿に鎮まり、これを吉佐宮と言う。」の部分も重要です。既に書いたように、そうしたことが可能な場所は比治の里にあった丹波道主命(彦坐王)の館以外にないからです。

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鳥居の先に真名井神社の社殿が見えています。

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石段と社殿。これより先撮影禁止とあります。

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真名井神社。

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もう一枚。

籠目紋騒動のせいか、はたまた心無い人たちのせいか社殿や磐座の撮影はできない状態となっています。以下のブログの方が詳細な写真を掲載していますので、参照ください。2009年の時点では写真撮影も問題なく行えたのでしょう。現在は拝殿のところに頑丈な柵が設置され、磐座のところまで入ることはできず、監視カメラらしきものまで見られました。
http://kirakukuru.cocolog-nifty.com/blog/cat30878004/index.html

真名井神社は縄文時代からの磐座信仰の場として、奥の深い神域感に包まれていました。是非一度は訪問すべき場所だと思います。

真名井神社から籠神の社一帯は縄文、弥生、古墳時代の祭祀に関係する遺物が出土しており、特に真名井神社に近い真名井側東側には弥生時代中期の方形貼石墳が発掘されています。これが海部氏のものかどうか何とも言えませんが、真名井神社鎮座地の磐座を祭祀していた古代人の墓であるのは間違いなさそうです。大宮売神社などと同様に、古代の祭祀場所に神社が建てられた例は数多いと思われます。

           尾張氏の謎を解く その85に続く
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