尾張氏の謎を解く その87


今回は皇太神社(皇大神社)を見ていきます。鎮座地は京都府福知山市大江町内宮宮山217で、祭神は天照皇大神となります。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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皇大神社の鳥居を遠望。画像サイズを大きくしています。

動物除けの柵があり景観を損ねますが、農家の方々のご苦労を思うと何も言えません。水田の尽きた先の山中が鎮座地となります。

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案内図。

皇大神宮まで300mあり、多分山道を登る必要があります。その後で天の岩戸神社を参拝することになりそうです。

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登り口の石段。

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振り返れば集落と水田が眺望されます。

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神々しい雰囲気がもう漂ってきました。これは相当な神社だと実感されます。

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石段をどんどん登って行くと踊り場に巨杉が…。

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麻呂子親王(まろこしんのう)お手植えの杉とあります。

麻呂子親王は第31代用明天皇の第三皇子で、聖徳太子の異母弟と言う大変高貴な人物です。この頃、大江山に多くの鬼が棲み人民に危害を加えていました。そこで鬼たちを討伐すべく麻呂子親王が派遣されたのです。親王は苦難の末に鬼たちを討伐したとされています。詳細は以下のPDFファイルを参照ください。
http://www.city.fukuchiyama.kyoto.jp/life/facilities/docs/1267.pdf

大江山は土蜘蛛・陸耳御笠が彦坐王に追われ逃げ込んだ山で、源頼光が酒呑童子を成敗した山でもあり、鬼伝説に彩られています。酒典(呑)童子伝説は伊吹山にもあり、伊吹山の神である伊吹大明神の申し子が酒典童子であったと言うものです。詳細は以下を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90

上記に出てきた鬼たちは出現場所からすると産鉄民の可能性が高そうです。けれども、この問題は検討を始めると長くなるので将来の課題としておきます。

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巨杉を反対側から撮影。踊り場のど真ん中にすっくと立っています。

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真名井の池。随分小さい池ですが…。

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境内です。画像サイズを大きくしています。

深い緑の中、巨大な杉木立に囲まれて鎮座する皇大神社からは、圧倒的な神気が立ち昇っています。こうなると、皇大神社が元伊勢かどうかなど吹っ飛んでしまいます。神の気に満ちたこの奥深い神社をぜひ訪問いただきたいと思います。尾張にもこんな神社があれば素晴らしいのですが、ない物ねだりになりそうです。

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解説板。

人皇第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に 「別に大宮地を求めて鎮め奉れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鋤入姫命 御杖代となり給い、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑を出御されたのが、いま(平成二年)を去る二千四十九 年の遥か昔であった。そして、まず最初にはるばると丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸になり、その由緒により当社が創建されたと伝えられている。皇大神は四年ののち倭へおかえりになり、諸所(二十余か所)を圣て、五十四年後の人皇第十一代垂仁天皇二十 六年に、伊勢の五十鈴川上(いまの伊勢神宮)に永遠に御鎮座になった。しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は、ひき続いて当社を伊勢神宮の元宮として「元伊勢(内宮)さん」などと呼び親しみ、いまに至るも庶民の篤い信仰が続いている。

由緒は同社が元伊勢内宮である点を強調しています。けれども、与佐宮と称されていない点、五箇の地名や丹波道主命(彦坐王)の館もない点からして、元伊勢ではなく伊勢への移動途中に立ち寄った場所と考えられます。

海部穀定氏は「元初の最高神と大和朝廷の元始」で、籠神社が一時衰退したのに乗じて元伊勢を名乗ったとこき下ろしています。酔石亭主もここが元伊勢とは思いませんが、(立ち寄った場所を元伊勢と言うならそうも言えます)皇大神社が持つ圧倒的な神域感は正しく神が鎮まるに相応しい場所となります。

なお、参道で麻呂子親王手植えの杉を見てきましたが、親王が鬼を成敗する際に豊受大神社と共にともに当地に勧請したのが皇大神社との説もあり、この場合は元伊勢となりません。しかしです。麻呂子親王は当麻氏の祖とされ、当麻皇子の妹は須加手姫皇女で、伊勢神宮の斎宮として37年間の長きに亘り奉仕していました。麻呂子親王が妹を介して伊勢神宮と繋がる回路を持っていることから、当地に皇大神社を勧請したとの説が出てきても不思議ではありません。(注:麻呂子親王の鬼退治伝説によると、鬼退治を終えた親王は、神徳の加護に感謝して天照大神の神殿を営んだことになっています)

ところで、当麻氏と関係する当麻都日子神社(当麻山口神社境内社)の祭神は彦坐王と麻呂子皇子になっています。麻呂子親王が大江山の鬼たちを成敗した話と、彦坐王が大江山に逃げ込んだ土蜘蛛・陸耳御笠を追撃した話は重なっているのかもしれません。麻呂子親王が成敗した相手の中には土熊なんて名前の鬼までいて、これも土蜘蛛と重なりそうに思えます。

麻呂子親王と彦坐王の話が重なっている場合、麻呂子親王の話が元になって、残欠や「但馬故事記」にある彦坐王が陸耳御笠を討伐した記事が成立した可能性さえ浮上してきます。そうなると、今まで書いてきた内容のほとんどが水の泡となってしまいます。彦坐王(丹波道主命)は丹波の謎を解く鍵のような人物であることから、ここは麻呂子親王の話が元になっているのではないとしておきましょう。
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黒木の鳥居と拝殿。

黒木鳥居とは樹皮のついたままの鳥居のことで、数が極めて少なくとても珍しいものです。原始的な鳥居の形式と言ってよく、その意味では非常に古いものとなります。この形式の鳥居は京都の野宮神社、伊勢の伊雑宮、阿蘇の国造神社、豊受大神社などに見られます。ただ豊受大神社の場合、笠木には樹皮がついていましたが、柱の樹皮は白木のように見えました。当初は黒木鳥居だったものが、後になって柱の樹皮を剥いだものと推測されます。

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鳥居を潜り拝殿に接近します。

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拝殿と巨杉。

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位置を変えて境内を撮影。

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巨杉。

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別の巨杉。龍灯の杉です。豊受大神社と同じ名前の杉です。

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もう一枚。

樹齢二千年を超えると推定されているとのこと。凄いとしか言いようがありません。

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本殿。

「加佐郡誌」には解説板の由緒内容が簡略に書かれ、けれども何ら旧記がなく考証の史料を得ることが出来ない。按ずるに暫時ご鎮座の後大神を斎祀り、年を経るに従って諸人の信仰が厚くなった、との記載があります。要するに伊勢への移動途中の一時的滞在場所と言うのが「加佐郡誌」の見解となります。酔石亭主もその通りだと思いますが、元伊勢問題はさて置き、この場所の持つ神域感、聖域感は半端ではありません。ここは長きに亘って人々の厚い信仰が集積した場所だと思われます。

ちなみに、元国学院大学教授小野祖教氏は皇大神社を元伊勢与佐宮としておられます。具体的には以下のPDFファイルを参照ください。
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/s9-1.pdf

次回は皇大神社を出て天の岩戸神社へと向かいますが、その途中にも何かありそうです。

         尾張氏の謎を解く その88に続く
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