尾張氏の謎を解く その111


彦坐王の軍勢は東山道に沿いつつ次の駅である鵜沼駅に向かって進軍しています。鵜沼駅は木曽川のすぐ近くで、各務原市の東端に位置します。これから数回は各務郡(現・各務原市)を検討していくことになるので、同郡の一般的な事項から見ていきましょう。各務原の各務は既にご存知のように鏡を意味しているし、他にも興味深い謎が秘められていそうです。ただ、時代的に見て彦坐王とは直接関係がなさそうな部分が多く、さほど深掘りしていない点はお含み置き下さい。

各務原の地名に関して、Wikipediaは以下のように説明しています。

地名の由来は、古代に鏡作部(かがみつくりべ、銅鏡などの鏡を作る特殊技能集団)がいたことからと言い伝えられている。(『各務村史』)また、別の説では、各務地域のほぼ中央にある村国真墨田神社に鏡作部の祖神である天糠戸命が祀られているからとも言われている。

各務原の古代に鏡作部がいたとありますが、それを示す遺跡や史料はなさそうですし、別の説にしても、鏡作部がいたから村国真墨田神社に鏡作部の祖神である天糠戸命が祀られていることになり、意味合いは同じです。各務原の地名由来をあれこれ考えても決定打を出せそうにありません。

この問題は横に置き、次に山の名前を見ていきます。各務原市にはそれほど高い山はなく、市の北側に低い山並みがほぼ東西に続き、南側が長良川で区切られています。すぐに目に付くのは、市の名前と同じ各務山で、平野部の中に浮かぶ島のような独立峰となっています。


各務山の位置を示すグーグル画像。

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各務山のほぼ全景。

尾張側の犬山城から撮影しています。土砂の採取により山が大きく削り取られています。各務原市の名前と関連する重要な山のはずなのに、なぜ開発を許可したのか納得できないものがあります。

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もう一枚。こちらは村国神社に近い北側から撮影。

各務山は鏡山で、山の北北東には村国神社が鎮座し、天火明命と鏡作部の祖となる石凝姥命が祀られています。村国神社は同地の豪族である村国氏が創建した神社で、同社から各務山までは1㎞程度の距離しかなく、両方は照応関係にあるように思えます。

ところがです。村国氏に関係する村国神社の南部一帯は各務氏(後の長縄氏、佐高氏)の居住地でもありました。となると、各務山の名前は各務氏の関係で付けられた可能性も浮上してきます。

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村国神社のすぐ近くで発見した石柱。

「史跡 各務氏一族居城地」とあります。この石柱の別の面には「大領各務氏は奈良平安の時代各務郡を支配した豪族である 昭和五十二年六月 長縄 佐高両一族建之」、「御野国各務郷各務郡字城之屋敷」と刻まれていました。付近で佐高の表札も確認できています。上記の石柱は、1200年も前の時代と現代との繋がりを意識して建立されたものになりそうです。

史料面で見ていきます。大宝2年(702年)の各務郡中里戸籍には、「小領務 正七位上 各牟勝小牧 主帳務 正七位下 勝牧夫」などと記載ありました。上記には各牟勝小牧とあります。各務氏と各務勝氏は多分別の流れと思われますが、各務氏から各務勝氏が別れたのか、或いは最初から別だったのかと言った部分は不明です。800年代になると各務勝氏は大領にも就任しています。となると、石柱に刻まれた各務氏とは各務勝氏のことになりそうです。各務原には秦氏もいて、「勝」は秦氏の傍流とも考えられますがこの辺はよくわかりません。

次に子孫の長縄氏、佐高氏から見ていきます。佐高氏は岐阜県に3人で全員が各務原市です。他には愛知県に17人で春日井市に8人となっています。愛知の方が多いとは妙ですね。次が長縄氏です。岐阜県にはさすがに多く247人で各務原市が167人と圧倒的な集中度となっています。ところがです。愛知県の長縄氏は287人で春日井市が166人と全体数では愛知の方が多く春日井市も各務原市に拮抗する人数となっていました。ますます妙ですね。

調べたところ、長縄氏は三河の幡豆郡長縄村に由来する姓との説がありました。また春日井市に多い長縄姓のルーツは戦国時代のようです。戦国の世、尾張の織田信秀は川並衆の前野宗康を従え斎藤道三との戦に臨みました。彼らは船で木曽川を遡り稲葉山に迫りましたが、突然の大雨で船は流され、敵から矢を射懸けられて大敗を喫します。信秀は縄を体に巻きつけて濁流と化した木曽川を渡り、命からがら尾張に逃げ帰りました。その強い縄を作ったのが二人の無名の兄弟で、信秀は彼らに褒美として長縄の姓を与えたとのこと。長縄兄弟はその後前野宗康の子である前野宗吉に付き従って春日井郡へ移住します。従って、現在の春日井市における長縄姓は強い縄を作った二人の兄弟の末裔となりそうです。

子孫から調べても、各務勝氏と長縄氏、佐高氏がどう繋がるのかよくわからない結果となりました。各務勝氏は村国氏が衰えてから各務原の支配者になったようです。両者の居住地は重なっていることから、各務勝氏が鏡作部であれば、村国氏が天火明命と石凝姥命を祀っても違和感はありません。でも、各務勝氏が鏡作部であることを示す史料はなさそうです。

村国氏が尾張氏系か伊福部氏に関係する、或いは彼ら自身が鏡作部である、のいずれかに該当すれば、天火明命と石凝姥命を祀ってもそれなりに納得はできます。既に書いたように、御野国山方郡三井田里戸籍(大宝2年、702年)には、三井田里戸籍の五百木部君木枝と村国奥連小竜売の婚姻が記載されていました。となると、伊福部氏の影響で村国氏は天火明命と石凝姥命を祀ったのでしょうか?

村国氏は鏡作部ではない。しかし彼らは鏡に関係する天火明命と石凝姥命を祀っている。この相互に矛盾する部分を整合させるには、伊福部氏を主力とした彦坐王の遠征部隊が鏡(=天火明命)を奉じて美濃から尾張に向かったのが遠因になり、各務原の地名が発生したと考えるしかなさそうです。或いは遠征部隊の出発点が大和の鏡作郷だったので、鏡作部も同行していたのかもしれません。いずれにしても確定的なことは言えないので、村国神社を訪問した際にまた考えてみます。

山の話が各務勝氏で長くなってしまいました。他の山はどうでしょう?木曽川に沿って伊木山(いぎやま)があります。

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伊木山です。犬山側から撮影。
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もう一枚。犬山城から撮影。

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犬山城と伊木山。画像サイズを大きくしています。


伊木山の位置を示すグーグル画像。

実に秀麗な山容です。大和の聖なる山、天香久山にも似ているように感じられました。それはさて置き、伊木山は息山で伊吹山と考えられそうです。この山に鍛冶遺跡でもあればほぼ間違いないところなので、調べてみました。

すると驚いたことに、「八龍遺跡発掘調査報告書」なる報告書が作られており、各務原市鵜沼小伊木の八龍遺跡からは飛鳥時代から平安時代にかけての鍛冶工房址が発掘され、鉄滓も出土したとのことです。八龍遺跡とは正しく八頭、八尾の大龍(=八岐大蛇=伊福部氏)に乗って尊神(=天火明命)が鎮座したとの「真清探當證」記述にぴったり一致しそうな雰囲気さえあります。

「野口廃寺発掘調査報告書」によれば、各務原市蘇原の「野口廃寺遺跡」から同じく飛鳥時代から平安時代にかけての 鋳造遺構が発掘され、銅滓も出土したとのことです。他には各務原市前洞の前洞遺跡(平安時代)から鍛冶工房址が発掘され、各務原市三井の三井遺跡も同様です。これらの遺跡は崇神天皇の時代よりずっと遅いものですが、かつて伊福部氏がこの地にいたので後代になって鍛冶工房が造られたとも考えられます。

山の名前を続けます。地図を見ていると八木山と言う名前の山がありました。旧池田郡伊福郷に鎮座する伊福部氏系神社が養基神社(やぎじんじゃ)でした。この神社は江戸時代八木大明神と呼ばれていたそうです。伊福部は五百木部(いほきべ)であり、「いほき」が養基に転訛して八木や結城に転訛したと考えられます。よって、八木山も伊福部氏との関連が想定されます。

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八木山。写真の右寄りの山。


八木山の位置を示すグーグル画像。

連山で左端の山が愛宕山のようです。各務原には秦氏の存在も認められるので、愛宕山の命名は秦氏かも知れません。以上から、確証はないものの、各務原市に伊福部氏の存在した痕跡はありそうです。なお、空海と関係のある法相宗の僧・護命(ごみょう)は秦氏で各務郡の出身となり、各務郡大領にも康保2年(965年)2月17日の宣旨で秦良実が就任しています。何を目的にしていたのか不明ですが、各務原にも秦氏は進出していたようです。次回は村国神社を訪問します。

           尾張氏の謎を解く その112に続く
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No title

失礼します。
苧ヶ瀬池の北にあるゴルフ場のところに、天狗谷遺跡がありますよ。(たまご販売の後ろ)古代からの窯跡だそうで陶器が中に散らばっているのが見れました。
あと愛宕山、八木山、迫間山と、この辺りはちょっと神域のようなところで迫間不動、山中不動、日乃出不動などがありますよ。神仏習合の度合いが高く、とくに迫間不動は滝つぼの横の岩のくぼみに神域が作られており内部の圧迫感がすごいです。雨の日に行くと水量が増えて良いです。
あとは伊木山近くの陵南小学校に古墳がありますよ。各務原台地は大小の古墳だらけです。次は鵜沼宿ですね。

Re: No title

ばべ様

現在書いている各務勝氏は陶器作りをしていたとの説もあるようです。となると、鏡との関係はなくなるし、わかりにくい部分があるので記事にするのは諦めました。
迫間不動は以前から行ってみたいと思っていますが、今のところ彦坐王のストーリーを追うのが精一杯でまだ先のことになりそうです。
いずれにしても、各務原は時代的にはやや新しいのですが、面白いものが多々ありそうですね。

長縄氏

春日井に長縄氏が多いのは各務原から移住した人達もいるからです。現在の春日井市美濃町(旧勝川村美濃新田は各務原から移住した人達により開拓された)の長縄家に各務原の長縄さんが先祖が移住したと訪ねて来たこともあるそうです。

Re: 長縄氏

みのさん

コメント有難うございました。美濃新田の地名自体が各務原から春日井に移住して開拓した長縄氏の動きを物語っているようで興味深いですね。現在私は知多市に住んでいますが、春日井市知多町は知多郡の東海市横須賀や養父から移住した人たちが開墾した場所のようです。これは尾張藩の政策のようですが、思わぬ所で色々な繋がりが出て面白く感じられました。こうした知識が深まったのもみのさんから頂いたコメントのお蔭です。どうも有難うございました。
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