尾張氏の謎を解く その113


各務原市をさらに東に向かいます。前回の最後にほんの少し鵜沼の伊福部氏が登場しましたが、数が少なそうに思えるのは、ほとんどのメンバーが山県郡三井田里(山県市高富町)に配置されてしまったからだと思われます。

鵜沼を過ぎて木曽川を渡れば犬山市となるので、遠征部隊の長旅も尾張(終わり)が近くなってきました。美濃と尾張の境のような場所の各務原市鵜沼山崎町1-108には村国真墨田神社が鎮座しています。祭神は天火明命、金山彦命、 彦火火出見命、罔象女命(くらおかみのみこと)、村国男依(むらくにのおより)となっています。


鎮座地を示すグーグル地図画像。木曽川沿いで尾張に近い。

111_convert_20151102102827.jpg
鳥居越しに見る拝殿。

112_convert_20151102102912.jpg
拝殿。堂々たる建物です。

由緒に関しては岐阜県神社庁のホームページより引用します。

村國真墨田神社は、美濃國一宮の南宮大社(不破郡垂井町)の主神金山彦命(かなやまひこのみこと)と、尾張一宮の真清田神社(愛知県一宮市)の主神天火明命(あめのほあかりのみこと)さらに後になって、この地を支配していた地方豪族村國氏の中より、天武元年(672)に起こった壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのおうじ後の天武天皇)に味方して功績をあげた村國男依(むらくにのおより)を、その後祭神として合祀し、古くから鵜沼の地の産土神として里人の崇敬を集めていました。その社名は、十世紀初頭の法典である「延喜式」(えんぎしき)の中の一巻である「神名帳」の中にも見出される、美濃國式内社の一社であります。又、当時の神社は現在の場所から数百メートル南の木曽川ぞいに有ったと伝えられ、その場所は現在は御旅所となっています。その後、時代は下って戦国時代になり、神社は当時の武将大沢氏一族の守護神となり、その居城鵜留摩(うるま)城(現鵜沼南町城山)の外堀外部に位置していましたが、永禄年間(1558-1570)織田信長の美濃侵攻によって大沢氏は城を追われ、鵜沼地方は織田家領となり、更に天正十二年(1584)小牧長久手の戦いにおける羽柴秀吉の犬山攻めに際して、この地の有力者であった河村惣六なる人物が秀吉に協力して恩賞を挙げた折、許可を得て現在の場所に神社を遷宮し現在に至っています。

神社庁ホームページは以下を参照ください。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=829&shrname=%E2%98%85%E6%9D%91%E5%9B%BD%E7%9C%9F%E5%A2%A8%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

前回で村国神社と村国真墨田神社の祭神を比較検討していますが、今回は少し別の視点から考えてみます。村国真墨田神社の鎮座地は鵜沼であり、村国氏は各務原の豪族である各務氏(各務勝氏)との関係も密接であったことは容易に推定できます。そして各務氏(各務勝氏)は南宮大社の氏子でもありました。よって、村国氏と各務氏(各務勝氏)との関係から村国真墨田神社の祭神が南宮大社から勧請された金山彦命になったのかもしれません。

もう一柱の祭神天火明命に関して、由緒では真清田神社から勧請されたとあります。村国真墨田神社の社名に真墨田(=真清田)が入っていることからそれも当然のように思えるのですが、疑問も残ります。既に書いたように真清田神社の祭神が天火明命となったのは江戸時代以降で、それ以前は国立常尊や大己貴命であり、宮司も大三輪氏系の真神田氏だからです。また真清田神社に尾張氏が関与した痕跡はないようです。どうもすっきりしないものが残りますね…。

由緒が正しいとすれば、飛鳥時代の真清田神社祭神は天火明命でなければならないのに、それを確認できる史料は存在しません。真清田の真清(ますみ)は曇りのない澄んだ鏡(真澄鏡、ますみのかがみ)を意味しているところから、鏡→天火明命の連想が働いて祭神を天火明命とした可能性もありそうです。もちろん、各務原の伊福部氏、或いは一宮市方面に進軍した伊福部氏の影響によりそうなった可能性も指摘できますが、ストンと腹に落ちてきません。何か見落としがないか探してみましょう。

「その110」で伊木山について書いています。伊木山が息山なら伊福部氏の関与があるはずと推測し、調べたところ、「八龍遺跡発掘調査報告書」なる報告書が作られており、各務原市鵜沼小伊木の八龍遺跡からは飛鳥時代から平安時代にかけての鍛冶工房址が発掘され、鉄滓も出土したと判明しました。

伊木山から村国真墨田神社までの距離はかなり近いので、両者の関係を由緒からチェックしたところ、村国真墨田神社(の元になる神社)は、伊木山の東にあり、そこから遷座したとのこと。旧鎮座地は現在の大脇グループ木曽川寮の辺りで、現在は御旅所になっています。ここだと、現在の鎮座地よりもさらに伊木山に近くなります。


旧鎮座地一帯を示すグーグル地図画像。

となると、伊木山の東にあった元の神社は村国氏のものではなく、伊福部氏が鏡(天火明命)を祀る祠だったのかもしれません。仮にそうだとすれば、天火明命は真清田神社から勧請されたとする由緒と整合性が付かなくなります。

ややこしいのは、江戸時代は南宮大権現、南宮大明神村国宮などと称されていたものが、安政2年(1855年)の社殿造営時以降に村国真墨田神社と改称され、社名が固定したとされている点です。この頃であれば、真清田神社の祭神は天火明命となっているので、社殿造営と同時に真清田神社から天火明命を勧請できることになります。

けれども、延喜式神名帳では村国真墨田神社となっているので、祭神は創建の飛鳥時代に真清田神社から勧請された可能性は高くなります。ところが当時の真清田神社祭神は天火明命ではないのです。安政以前は、例えば大己貴命が祭神で、安政になってから天火明命に変わったのでしょうか?その場合、村国神社祭神が天火明命であるのと整合しません。

あれこれ検討しましたが、村国真墨田神社の祭神に関しては整合性のある視点で書くことが難しそうな結果となりました。けれども、彦坐王のストーリーとは直接関係ないので、この部分も問題提起のみにとどめておきます。

美濃編が終わったところで尾張氏の謎解きはまた小休止とします。

            尾張氏の謎を解く その114に続く
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる