尾張氏の謎を解く その114


しばし中断していた尾張氏の謎解きを再開します。不破の地峡帯を抜けた彦坐王の美濃・尾張遠征部隊主力は後代の東山道に沿って美濃国内を進軍し、尾張との境になる各務原まで至り木曽川を渡りました。対岸はもう尾張で犬山市となります。(注:伊福部氏は犬山に至る前の各地に配置され、ごく少数になっているはずです)

彦坐王の遠征部隊が犬山市に至ったことを証明するかのように、同市にある東之宮古墳からは鏡作坐天照御魂神社の三角縁神獣鏡の同笵鏡(どうはんきょう、同じ鋳型から鋳造された鏡)が出土しました。この事実は、遠征部隊が大和・鏡作郷を出発地点としていた証明にもなるはずです。

また東之宮古墳は、伊福部氏が祀る伊富岐神社のほぼ真東に当たっています。東之宮古墳が北緯35度23分24秒で伊富岐神社が北緯35度22分37.1秒ですからとても偶然とは思えず、古墳の位置は測量により決められた可能性も浮上してきます。両方の位置関係は、遠征部隊が鏡を奉じて不破の地峡帯から尾張の東之宮古墳まで移動したことを示す傍証にもなりそうです。

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東之宮古墳のある白山平山。

尾張国丹羽郡(犬山市から一宮市東部にかけての一帯)は本宮山山麓から平野部に勢力を伸ばした邇波氏(注:表記は色々あります)の本拠地で、東之宮古墳の被葬者も邇波氏の首長と考えられています。邇波氏は、在地豪族とニギハヤヒが大和入りした段階で出雲族と共に尾張に向かった多氏系の一族が融合したものと推定されますが、後でもっと詳しく検討します。

彦坐王は彼らに対し大和王権への臣従を要求。また飛騨からの侵略があった場合食い止めるよう指示したものと思われます。邇波氏にしてみれば受け入れる以外の選択肢はなかったでしょう。或いは、太陽祭祀氏族である多氏の流れを汲んだ邇波氏にとって当然のことだったのかもしれません。恭順の意を表した邇波氏に対し、遠征部隊は崇神天皇より授かった鏡を下賜します。それこそが、尾張で最も古い古墳の一つとされる東之宮古墳(四世紀前半の築造)より出土した三角縁神獣鏡だったのです。

鏡作坐天照御魂神社で祀られる三角縁神獣鏡の同笵鏡が4世紀前半の築造と推定される犬山市の東之宮古墳から出土した以上、崇神天皇の勅命により派遣された遠征部隊が不破の地峡帯を越え、美濃の各務原を経由し、尾張の犬山市まで到達したのはほぼ間違いありません。と言うことで、東之宮古墳に行ってみましょう。


東之宮古墳(東之宮神社)の位置を示すグーグル地図画像。

成田山名古屋別院大聖寺の裏手から登ると早いのですが、道はないので途中まで藪漕ぎみたいになりました。正しくは地図画像の「拡大地図を表示」をクリックいただき、東之宮神社参道へと通じる道を歩いてください。

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神社参道(東之宮古墳)への登り口。

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東之宮神社社号標と鳥居。

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東之宮神社。

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東之宮古墳。

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解説板。読みやすいように画像サイズを大きくしています。

解説板では古墳築造時期を1600年前としていますが、昭和52年作成の解説なので現在は異なっており、一般的には3世紀の終わりから4世紀の範囲内とされています。酔石亭主は彦坐王の動きと絡め、上記したように4世紀前半の築造と考えます。

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神社本殿と古墳の一部が見えています。

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古墳に接近して撮影。

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境内社の湊川神社。楠木正成でも祀っているのでしょうか?よくわかりません。

東之宮古墳に関するWikipedia記事は以下を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%8B%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3

彦坐王率いる遠征部隊が美濃を出て尾張の犬山まで行ったとすれば、伊波乃西神社脇の墓は彦坐王ではあり得ません。では、彼の墓は一体どこにあるのでしょう?酔石亭主は、以前にアップした白鳥塚古墳こそが大和の武人である彦坐王の墓として最もふさわしいと考えます。詳しくは庄内川沿いの白鳥塚古墳(東谷山山麓)に到着した段階で検討する予定ですが、犬山から東谷山山麓までどのようなルートで遠征部隊は移動したのか、またその途中には何があるのかを引き続き見ていきます。

既に書いたように、木曽川を渡った犬山市から一宮市東部までの尾張北部一帯が丹羽郡となり、邇波氏の支配地域となります。邇波氏と書きましたが、実際には相当複雑な要素が含まれあまり触れたくない部分ではあります。ただ、彼らの実体を探る作業は必要なので、もう少し考えてみましょう。基本的には「一宮市史」の記事を参考にしている点お含み下さい。

尾張地域は初期大和王権の勢力範囲の東限に位置し、邇波(にわ)県の存在が確実視されています。従って、以前にアップした大縣神社、田縣神社は邇波県にて祀られた神社となります。そして邇波県の県主(あがたぬし)は神八井耳命(かむやいみみのみこと)を祖としており、尾張丹羽臣もまた神八井耳命が祖で、「古事記」の神武天皇条には、「神八井耳命者意富臣、小子部連、尾張丹羽臣、嶋田臣等之祖也」とあります。

一方、「先代旧事本記」天孫本紀によれば、尾張氏の祖・建稲種命と結婚したのが邇波県君(にはのあがたのきみ)祖・大荒田の娘・玉姫となっています。つまり、邇波県には邇波県主と邇波県君の二種類の首長が並立しているように見えてしまうのです。どちらの支配力が強かったのか、それぞれの支配時期は同じなのか異なっているのかなど、両者の関係をどう理解すればいいのか悩ましいところです。

参考にすべきは邇波県に鎮座する尾張国二宮の大縣神社ですが、祭神は同社ホームページを見ても大縣大神(おおあがたのおおかみ)とあるだけで、明確ではありません。もう少し詳しく検討するため、Wikipediaより以下引用します。

社伝によれば「垂仁天皇27年(紀元前3年)に、本宮山の山頂から現在地に移転した」とある。祭神は、大縣大神(おおあがたのおおかみ)としている。大縣大神は、国狭槌尊とする説、天津彦根命(大縣主の祖神)とする説、少彦名命とする説、大荒田命(日本武尊の三世孫で迩波縣君の祖)とする説、武恵賀前命(神八井耳命の孫)とする説などがあり、はっきりしない。いずれにしても、「大縣大神は、尾張国開拓の祖神である」とされている。

Wikiも大縣神社の祭神に関しては、かなり曖昧な内容となっています。なお、大荒田命は日本武尊の三世孫で迩波縣君の祖とありますが、これは「新撰姓氏録」に「 聟本 倭建尊三世孫大荒田命之後也」とあることによります。また、「愛知県史(第一巻)」は大荒田命について豊城入彦命四世孫大荒田別と同一人物と見ています。

大荒田命の素性に関する上記の二説が正しいか何とも言えません。それらはさて置いても大荒田命が同社祭神であれば邇波県君関連であり、武恵賀前命であれば邇波県主関連となり、一つの神社で両方の邇波県首長が祀られているような雰囲気があります。次に田縣神社で見ていきます。同社祭神は御歳神(みとしのかみ)と玉姫命(たまひめのみこと)です。詳細は以下Wikipediaより引用します。

祭神は御歳神と玉姫神で、五穀豊穣と子宝の神である。社伝によれば、当地は大荒田命の邸の一部で、邸内で五穀豊穣の神である御歳神を祀っていた。玉姫は大荒田命の娘で、夫が亡くなった後に実家に帰り、父を助けて当地を開拓したので、その功を讃えて神として祀られるようになったという。

田縣神社が大荒田命の邸の一部で祭神がその娘の玉姫命であれば、こちらも邇波県君が関係します。邇波県の主要な2社から判断すると邇波県君の立場が優勢なようにも思えますが、それは両者の支配時期の違いが影響しているのかもしれず、とても断定などできません。

東之宮古墳の築造は4世紀前半と推定され、ほぼ時を同じくして丹羽郡一帯が大和王権の従属下に入り邇波県の成立となります。具体的には、この地に入った彦坐王によって従属を余儀なくされた訳です。邇波県主は大和王権に貢納を行いつつ県の支配を続けていきました。(注:「一宮市史」は東之宮古墳の築造を4世紀後半としています)

ところがその後、大和王権が支配力を強め、皇室の料地である屯田(みた)が形成され屯倉(みやけ)が設置される段階に至ると、県主は司祭的機能を強める方向に進み、県の行政面を県稲置が担当し始めました。邇波県の場合、邇波県君が県稲置に任じられ、邇波県主は大縣神社の祭祀を司ることになります。

以上、酔石亭主の視点で若干変更を加えてはいるものの、ほぼ「一宮市史」の記述に沿って見てきました。問題は、大縣神社に関して邇波県主が祭祀を司る一方、主な祭神は邇波県君であり、田縣神社祭神も邇波県君関連となってしまう部分です。こうした矛盾は邇波県主と邇波県君のありようが整理されていないことから発生していると思われ、矛盾がないような形に再構成する必要があります。

太田亮氏は「姓氏家系大辞典」で、この県の県主は多臣の族、つまり神八井耳命の後裔となっているが、元は地元の大豪族がいて、婚姻か何かで多臣氏に変わったものであろう、としており、この部分はほぼ同意できそうに思えます。

酔石亭主は、ニギハヤヒが大和入りしたのとほぼ時を同じくして大和から尾張に移った集団の中に多氏系のグループがいて、本宮山を神体山とする在地豪族と融合し邇波県主になった。彦坐王以降大和王権の尾張北部への支配力が強まり、邇波県主から邇波県君が分離して県稲置(丹羽稲置)に移行していったのではないかと想像しています。(注:丹羽稲置は尾張国造の支配下となるので、初代尾張国造である乎止与命の子・建稲種命(たけいなだねのみこと)が大荒田命の娘・玉姫を妃にしたと言った話に繋がってきます)

邇波県主から邇波県君が分離して県稲置(丹羽稲置)に移行していったと考えれば、邇波県主と邇波県君のいずれの中にも多氏の系統や在地豪族の流れが組み込まれていることになって、邇波県主が大縣神社の祭祀を司っても矛盾はなくなります。太田亮氏の「姓氏家系大辞典 第4巻」にも、邇波縣君は尾張国丹羽郡の縣君にして、丹羽縣主に同じ。と書かれており、酔石亭主の見方と同じになっています。詳細は以下の近代デジタルライブラリーコマ番号569を参照ください。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123910

邇波県の首長並立問題に関しては一応上記のように考えますが、邇波県主と邇波県君はいずれも役職名であり、その背後にいる人物がどの集団に属するのかを分別するのは困難なため、一宮市が本拠と思われる尾張丹羽臣もひっくるめて邇波氏と表記しているとご理解ください。

ここまで見た上で、崇神天皇や彦坐王の時代と同じ四世紀前半の築造と考えられる東之宮古墳の被葬者を推定してみます。まず邇波県君の祖・大荒田命から探っていきましょう。彼は日本武尊の三世孫とされています。それが正しいかどうかは別として、大縣神社ホームページによれば、愛知県で二番目に大きな青塚古墳の被葬者が大荒田命とのことです。内容は以下の通り。

青塚古墳は大縣神社の御祭神 大縣大神の神裔(しんえい) 大荒田命(丹羽ノ縣ノ君の祖)の墳墓であると伝えられており、「青塚」、「茶臼山」、「王塚」などさまざまな呼称があります。当社より西方4キロの犬山市字青塚141番地外に所在し、犬山扇状地に発達した洪積段丘の端部に位置しており、古墳の西には木曽川によって作られた平野が広がっています。築造の時期は、遺構と出土遺物などから4世紀中頃の古墳と考えられております。
規模は、墳長123メートル、後円部径78メートル、後円部高さ12メートル、前方部長45メートル、前方部幅62メートル、前方部高さ7メートルの前方後円墳で、周囲には自然地形を利用したやや不定形な周濠を有し、県下では2番目の規模を誇り、その精美な形態は全国屈指のものと云われております。


同社ホームページは以下を参照ください。
http://ooagata-01.p2.weblife.me/pg129.html

青塚古墳の築造は四世紀後半と推定されています。四世紀前半の東之宮古墳との時代差は60年程度でしょうか?となると、東之宮古墳の被葬者は大荒田命の曽祖父辺りの人物が該当しそうです。Wikiによれば、県主は3 - 4世紀(古墳時代初期)に成立したと考えられており、県主制の成立時期を伝承の上に位置づけようとした場合、崇神天皇の治世が妥当とみられ、祭政分離の時期であり、王権の機構が整えられていく過程で県主が大和の豪族達に寄与されたと考えられる。とのことです。

従って、崇神天皇の時代に大和を出て美濃、尾張へ遠征した彦坐王が大荒田命の曽祖父に邇波県主の地位と威信財としての鏡を与え、その子孫の大荒田命の時代になって邇波県主から邇波県君が分離し、大荒田命が祖になったと考えれば筋は通ってきます。犬山市観光協会ホームページには東之宮古墳に関して、葬られたのは、邇波県の支配者邇波県主とも考えられています。と書かれていますが、上記の視点から東之宮古墳の被葬者を大荒田命の曽祖父としても問題はなさそうです。ホームページは以下を参照ください。
http://inuyama.gr.jp/culturalassets-themepark/576

東之宮古墳がある犬山市には尾張氏と関係しそうな針綱神社が鎮座しています。既に書いたように尾張における丹羽稲置は尾張国造の支配下となります。よって、初代尾張国造である乎止与命の子・建稲種命が大荒田命の娘・玉姫を妃にしている点を踏まえれば、犬山市に尾張氏系の神社が鎮座しているのは至極当然の話となります。と言うことで、次回は針綱神社を見にいきましょう。

           尾張氏の謎を解く その115に続く
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