尾張氏の謎を解く その116


彦坐王の遠征部隊は田縣神社を過ぎて後、尾張国内をどう進軍していったのでしょう?彼らはほぼ一直線に南方向へ移動していたようです。その移動経路を追っていくと、尾張神社が目に留まりました。鎮座地は愛知県小牧市小針2丁目。ここは尾張の地名発祥の地とされ、かなり重要そうなので早速行ってみます。


鎮座地を示すグーグル地図画像。周囲には何もないような場所です。

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尾張名称発源之地の石碑。

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解説板。内容を以下に記載します。

尾張名稱発源之地の碑
小針は、尾張名称発源の地と言い伝えられている。江戸時代に尾張藩が編纂した『尾張符誌』によれば、小針村は、古くは尾張村であって、尾張の名称はこの地から起こったとしている。 『尾張志』によれば、 小針は、古代には「小冶田」、「小墾」、「尾冶」とも書いたという。 小針の中心に「尾張神社」があるが、この周辺には、古墳時代を中心とする遺物散布地が濃密に分布していて、小針には、早くから大規模な集落が営まれていたと考えられる。また、かって土器田・鏡田・一色畑・政所などの地名が存在しており、古代社会の存在を物語るものと言われている。尾張名稱発源之地」の石柱碑は、昭和十五年十一月に北里村青年団の献金によって建立されたものである。


土器田はもちろん土器を製作した場所を意味し、鏡田は鏡を製作、調進した場所と考えられます。一色畑は刀剣などを製作した鍛冶の居住地とされています。伊福部氏や鏡作部の姿は見えないものの、関連性は窺えます。

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鳥居。

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蕃塀と拝殿。いかにも尾張スタイルと言う雰囲気です。

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拝殿。尾張造り妻入り形式の拝殿です。一見すると舞殿のようです。

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横から撮影。拝殿から渡り殿、祭文殿と続いています。

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本殿。

尾張神社の祭神は天香山命、誉田別命、大名持命となります。尾張神社は社名からしても尾張氏の神社と思えます。でもそうなると大きな疑問が湧いてきます。尾張氏の祖神は天火明命のはずなのに、なぜここに祀られていないのでしょう?理由はもうおわかりですね。遠征部隊は最も重要な鏡(=天火明命)を大荒田命の曾祖父(多氏系或いは多氏と在地豪族が融合した人物で邇波県主)に下賜してしまったので、それ以降の移動は天香山命のみを奉じるしかなかったのです。

彦坐王の遠征部隊は尾張神社から東に方向を変え、庄内川沿いの高座山(たかくらやま、高蔵山、高倉山など別の表記がある)へと向かいます。では、なぜ高座山なのか?既に書いたように、庄内川を挟んで高座山の向かいにある東谷山山麓の白鳥塚古墳が彦坐王の墓と推定され、同地に向かうためには必然的に上記のようなコースとなってしまうのです。その推定が正しいか否かは、高座山に遠征部隊の痕跡が残っているかどうかで決まります。と言うことで、次回は高座山に行ってみましょう。

        尾張氏の謎を解く その117に続く
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