尾張氏の謎を解く その121


伊福部氏と倭姫命一行が根尾川に近い天神神社から中島宮のある一宮市に向かうには、南東方面に進む必要があります。続いて長良川を渡り、木曽川を越えてようやく一宮に入れるので、一行がそうしたルートに沿って動いているのかを今回以降で見ていきましょう。

天神神社から南東に進むと23号線が南北に走り、その東はもう長良川となります。その23号線に沿った岐阜県瑞穂市生津字森下145番地には豊受大神を祀る豊受神社が鎮座していました。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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豊受神社の鳥居。

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解説石板。この内容でほぼ十分な解説となっています。

この神社は、伊勢の豊受大神宮の分霊を奉斉し、衣食住のお恵みをお与えくださる産業の守護神であらせられる。創建年月は判明しないが、伝記によれば垂仁天皇第四皇子倭姫命が、天照大御神の神霊を奉じ、各地を遍歴され、美濃の国伊久良(居倉)に滞在後、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと、生津の地に逗留、舟旅にて伊勢に向かわれたと伝えられている。舟が出入りし故に生津といい、森の下で泊まられし故に森下とよぶなど今に伝わり貫き御跡として、大御神を斉祀し崇敬これ伊勢並の神宮として、内宮外宮を奉遷し、祭礼には両宮一体の伝統ある神事が営まれている。…以下略。

倭姫命一行の次の滞在地は一宮市の中島宮だったはずですが、この由緒では抜け落ちています。いずれにしても、倭姫命が一時的に逗留したとの伝承が残るこの地に内宮と外宮を勧請したことになりそうです。従って、創建時期はかなり遅いものと思われます。

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拝殿。

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本殿。662

岐阜県神社庁記載の由緒も上記とほぼ同様になっています。神社庁ホームページは下記を参照ください。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2676&shrname=%E2%98%85%E8%B1%8A%E5%8F%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

倭姫命一行がここに逗留したのは、豪雨により舟を出すことができなかったためで、生津にて数日間を過ごしたそうです。となると、豊受神社脇の糸貫川から舟に乗ったのでしょうか?陸路と舟を適宜利用して移動したような印象があります。一行が出発する際には同地の豪族や国司、郡司などが様々な贈り物をして見送った伝承が残っているとのこと。豊受神社の近くには神明神社(内宮)も鎮座(瑞穂市生津滝坪町72番地)していますが、特に見るべきものもなさそうでパスします。

         尾張氏の謎を解く その122に続く
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