尾張氏の謎を解く その123


ここまで倭姫命の元伊勢関連は何度も登場していますが、伊福部氏の姿がまだ見えていません。尾張に近くなり、移動中の危険が少なくなったこともその理由に挙げられそうです。でも、彼らの仕事は警護以外にもあるはずです。

この先一行は長良川、木曽川を渡河して尾張に入ります。古代において大河を渡るのは想像以上に大変な仕事。そのルートや時期の選定、舟の手配などに、伊福部氏の一部が先遣隊として送り込まれたのではないでしょうか?となると、そうしたメンバーが安八郡に定着して何らかの痕跡を残した可能性もあります。

そこで調べてみると、岐阜県安八郡安八町牧905番地に伊福部氏の奉斎する伊富神社(いとみじんじゃ)が鎮座していました。祭神は天火明命。社名、祭神から見て明らかに伊福部氏系の神社です。早速行ってみましょう。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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伊富神社の鳥居。

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境内の鳥居。

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拝殿が見えてきました。

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拝殿。

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本殿。

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解説板。

太古より伊福部氏は、尾張・美濃を支配した名門で、大宝三年(七百三年)の戸籍「福善(さきよし)」安八郡の郡司として記録されています。」などと書かれています。これで伊富神社は伊福部氏系と確認されました。もう少し詳しい内容をチェックするため岐阜県神社庁ホームページより引用します。

社号の伊富は蓋し伊富部の略にて、祭神は伊富部氏の祖神、天之火明命なり。伊富部は美濃尾張に縁ある古姓なり。美濃明細記、百岐年に「安八郡牧邑一伊富社、同所富士社」とあり。又、新撰美濃誌に「牧村は馬ノ瀬の東にありて世安庄なり。伊富社村内にあり。富士権現(浅間神社)同地にあり。古城跡は村の南にありて、今田畠となる大河内左衛門元綱の三男大河内源次郎政忠天文二十年濃州安八郡牧村土佐守を亡し、地頭となり、牧村強之助と号し、稲葉伊予守通長に属す」と記せり以て当地の概略を知るべし。当村渡邊家古文書に依れば、本社の創建は文正元年九月十八日後土御門天皇の御代の創建に係る古社なり。又社伝に天正十年社殿を再建すとあり。現存せる棟札は文化四年八月遷宮のものあり。合祀の浅間神社は元村内に奉祀ありしが、後境内社となし、更に本殿改築の際昭和五年本殿に合祀せり。創建は寛文元年なり。

ホームページは以下を参照ください。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=49&shrname=%E2%96%A0%E4%BC%8A%E5%AF%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%96%A0

このような場所にポツンと伊福部氏の痕跡があるのは、彼らの一部が先遣隊として派遣され定着したからだと思えてなりません。神社の創建年を見ると文正元年(1466年)とのことで新しすぎますが、解説板ではそれより古そうな雰囲気もあり、また伊福部氏は太古から尾張・美濃を支配した名門と書かれ、700年代において安八郡の郡司に就任しています。そうした伊福部氏の立場や過去の経緯が後に伊富神社の創建に繋がったのは明らかです。また鎮座地の牧邑は古代牧のあった地であり、地名からもその古さが窺えます。

以上、郡家から一宮市へと向かう元伊勢のルート上に伊福部氏の存在も確認されました。この先、長良川と木曽川を渡れば尾張国で一宮市方面に入ります。随分サクサクとストーリーが進んでいるように思え嬉しい限りですが、この先はどうなるのでしょう?

           尾張氏の謎を解く その124に続く
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