尾張氏の謎を解く その124


伊福部氏の軍勢に警護された倭姫命はどの辺りで木曽川を渡河したのでしょうか?当時の木曽川の流路は現在とは異なっているはずで、推定するのはなかなか難しそうです。取り敢えず、宇波刀神社からそのまま東に最短距離を進んだと仮定します。宇波刀神社のすぐ東は長良川で、川を越えさらに東に進み、現在の193号線付近で木曽川を渡河します。その先には尾張における伊福部氏の本拠となる伊富利部神社が鎮座しているので、このルートで正しいとしておきましょう。


193号線と木曽川を示すグーグル地図画像。

一行は尾張に入ってからも193号線に沿って真っすぐ東に進むと仮定します。続いて東海北陸自動車道を過ぎた辺りで北東に方角を変えると、伊福部氏の本拠地・伊富利部神社(いふりべじんじゃ、伊冨利部の表記もあり、読み方は幾つかある)に至ります。伊富利部神社は上記の地図画像では一宮木曽川インター(地図の右上にある緑色の長方形部分)のすぐ南付近となります。この一帯は伊福部氏の尾張における最重要拠点と考えられるので、伊富利部神社に到達する前にも伊福部氏に関連する神社などがあるかもしれません。そう考え地図画像を詳しく見ると東海道本線の東に鉾塚神社、そのすぐ北東に福昌寺の表示が出てきました。


福昌寺と鉾塚神社を示すグーグル地図画像。

福昌寺の所在地は一宮市木曽川町門間字沼西2133で、鉾塚神社は 一宮市木曽川町門間福塚前 6となっています。

福昌寺は寺の名前に福(吹く)が入っており、地名も福塚ですから、伊福部氏に関係するお寺かもしれません。少し調べてみましょう。一宮市中央図書館で「伊富利部神社由緒」と言う冊子を読んだところ、福塚に関する記載がありました。

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福塚の記事部分。画像サイズを大きくしています。

記事の右ページのポイントとなる部分を簡略に記載します。

倭姫命は中島宮(萩原町中島)、坂手の御厨(佐千原の坂手神社)、酒見の御厨(今伊勢酒見神社)などに大神宮の仮殿を造って神鏡を奉祀されていた。倭姫命一行は酒見神社辺りに仮殿を作って暫く奉仕されておられたが、信頼していた従者が亡くなった。そこで、ほど遠くない場所に高塚を造って埋葬し、鉾を守り刀として収めたようで、以降この塚は鉾塚と呼び伝わった。後世になり塚の上に祠を祭った。

「伊富利部神社由緒」は元伊勢中島宮を三ヶ所に比定しているようです。どれが本当の中島宮か確定するのは非常に困難と思われますが、検討は後の回とします。いずれにしても、上記の記事から鉾塚神社は倭姫命の従者の墓と判明しました。ただこの場所は三つの元伊勢候補地からかなり遠くなってしまいます。

そんな場所になぜ倭姫命は塚を築いたのでしょう?まず福塚の地名が気になります。これは伊福部氏の塚で、当初は伊福部塚だったものが簡略化して福塚になったものと推定されます。信頼していた従者とは倭姫命を警護する伊福部氏の警備主任みたいな人物だったのかもしれません。

ここは既に尾張国内で、美濃と異なり安全性が高い場所となります。伊福部氏による警護もこの時点に至るとほぼ必要がなくなり、警備主任は伊福部氏の本拠地に含まれる福塚の地に留まったとは考えられないでしょうか?中島宮にいて警備主任の死を知った倭姫命は、彼の死を悼んで高塚を造ったのです。高塚の名前が「鉾を守り刀として収めた」から鉾塚と呼び伝わったのは、この人物の職掌を表現したものであると理解されます。続いて記事の左ページ部分を記載します。

福塚の東のところに幻の大寺があったと伝えられている。現在の福昌寺がその墓地のところだと言われている。伊福部氏の氏寺として建立されたものだと思われる。

これは凄い情報です。福昌寺の場所にあった幻の大寺は、鉾塚に葬られた伊福部氏の警備主任の菩提を弔うために建立されたのかもしれません。鉾塚は多分幻の大寺の境内にあったのでしょう。いずれにしても、倭姫命と伊福部氏がこの場所で重なっており、伊福部氏は倭姫命一行の警護役でもあったとする酔石亭主の考えを証明するような内容となっています。また記事の左ページ部分には以下のような記載もありました。

古来福塚七塚と云い古墳多数有りしが耕地整理等で現存するは鉾塚のみ。

鉾塚以外の塚も多分伊福部氏のものなのでしょう。かなり面白そうな展開になって来たので、鉾塚神社と福昌寺へ行ってみます。

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福塚の防犯に関する立看板。

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鉾塚神社の鳥居と石柱。ほとんど公園と化しています。

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拝殿。

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本殿。

地元でもこの神社の由来を知る方は少ないように思えてきます。鉾塚神社から少し歩けば福昌寺に至ります。

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福昌寺です。

臨済宗の小さなお寺です。寺名を刻んだ石柱は手前の南天のせいで見えません。

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本堂です。

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立派な白砂のお庭がありました。

鉾塚神社や福昌寺を見ただけでは、遠い過去の様子を知ることは難しそうです。歴史の謎解きは地名や史料、現場の状況などを組み合わせて探索するしかないと改めて肝に銘じさせられました。

この場所から1㎞ちょっと北東に行けば伊富利部神社に至ります。伊富利部神社から鉾塚神社に至る一帯が伊福部氏の支配地域であるのはほぼ間違いありません。今回の探索は予想以上の大収穫と言えそうで、他にも彼らに関連する神社や伝承・遺跡などが存在すると期待されます。その探索は先の話となりますが、次回は尾張における伊福部氏の本拠地・伊富利部神社に行ってみましょう。

            尾張氏の謎を解く その125に続く
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