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歴史に秘められた謎を解く その10

歴史に秘められた謎を解く
08 /02 2010

その9を書いてからやや時間が経過してしまいました。前回で瓢箪が数多く出てきましたので、もうそろそろ瓢箪も終わりだと思われるでしょうが、まだまだ話は尽きません。

新羅の始祖伝説では、瓢箪型の卵から生まれたのが始祖王赫居世です。この土地では瓠を朴(ぱく)ということから、その姓は朴になりました。新羅はなぜか瓢箪との係わりが濃いですね。

また朝鮮の伝承によれば、首相として赫居世を補佐した倭人の瓠公(ここう)は、タバナ(丹波または対馬か?)から日本海を渡ってきたとき、腰に瓢箪をつけていたので瓠公と名付けられました。

ところで瓢箪のことを匏(ひさご)と呼びますが、丹波国(後の丹後国)の籠神社に与佐宮があります。与佐宮は与謝宮で、与謝は匏を意味し、モーセの後イスラエル十二支族を率いたヨシュア(与謝)です。しかもヨシュアはギリシャ語でイエスを意味しています。以下は籠神社に関するWikipediaよりの引用です。

籠神社(このじんじゃ、こもりじんじゃ)は、京都府宮津市の天橋立の近くにある神社である。式内社(名神大)、丹後国一宮で、旧社格は国幣中社。元伊勢の一つであり、元伊勢籠神社とも称する。別称 元伊勢根本宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神。
社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。これによって、当社を「元伊勢」という。


籠神社のしおりによると、古代丹波の最高神である豊受大神は天之御中主神又は國常立尊とも云う、とあります。『日本書紀』によれば國常立尊は豊国主命すなわち秦王国の神です。であれば、豊受大神はアマテラスよりも高位の神となります。アマテラスが伊勢に鎮座する前に立ち寄った籠神社には様々な要素が含まれているようです。

ここで一旦瓢箪から離れ、アマテラスについてミトラ神とイエスとの関連で詳しく見ていきましょう。まずミトラ神は太陽神でありながら祭司としての一面を持ち、誕生日は太陽の死と再生を意味する冬至の12月25日となります。神の御子であるイエスの誕生日は12月25日で、はりつけとなって墓(天の石屋戸や洞窟と同義)に入った後、復活・再生しました。ローマ帝国においてキリスト教が主流となったのは、ミトラ教を取り入れたからです。その最たるものが、イエスの誕生日をミトラ神の誕生日と同じにしたことでしょう。

ミトラ教とキリスト教の関連は数多く、ここでは書き尽くせませんが、例えば復活祭や最後の晩餐など、キリスト教の儀礼や思想はミトラ教から導入されています。旧約聖書がシュメールの神話や出来事を取り入れているのと同じことですね。

イエスの人格というか神格は、ミトラ神がベースになっていました。イエスはミトラ神によって神となったのです。これは、ミトラの西洋世界に対する影響と考えられます。

一方ミトラ神は、インドにおいてマイトレーヤすなわち弥勒菩薩に、日本においては弥勒菩薩のみならず、摩多羅神に変容しました。これは、摩多羅がミトラの音訳であること、摩多羅神を当初祀ったのが弥勒菩薩を安置した広隆寺の桂宮院鎮守社大酒神社であること――などから証明できます。

弥勒菩薩も摩多羅神も元は同じミトラ神だから、名こそ違え同じ境内で祀られたということでしょう。しかも、国宝第一号の弥勒菩薩像を安置した広隆寺は、推古三十年に秦河勝が聖徳太子のために建立した寺なのです。

以上ミトラ神を媒介として、西洋と東洋そして日本までが一本の線で結ばれてしまいました。

そこで、アマテラスに登場してもらいましょう。女神としてのアマテラスは『日本書紀』にオオヒルメノムチと記載されており、太陽神である日を祭祀する巫女(みこ)でした。ところが彼女が天の石屋戸に籠り(死に)、そこから再び出現(再生)するときには太陽神天照大神に変容します。

そして宮中では、十一月の卯の日(太陰暦でほぼ冬至の前後)に、日の御子(アマテラス)の誕生式が執り行われていました。これらから、アマテラスの神格はミトラ神と同じと断定できます。しかも、ミトラ神の神格はイエスの中に流れ込んでいるのです。とすれば、アマテラスとイエスは…、ミトラ神を媒介として同体ということになります。ミトラ神は他の神々を変容させる神だと書きましたが、それはこのような意味だったのです。

さてそこで、アマテラスがイエスであるとしたら、イエスより高位の神はヤハウェ神しかいません。つまり、豊受大神はヤハウェ神の神格を付与されていたのです。宮中で祀られていたアマテラスは、崇神天皇の時代に宮中を出て各地を巡行し、垂仁天皇の時代にようやく伊勢に鎮座します。

次に雄略天皇の時代となり、アマテラスに勧請された豊受大神は伊勢神宮外宮に遷座するのですが、伊勢においては、アマテラスを祀る内宮の前に豊受大神を祀る外宮を先参りしなければなりません。ここにも、イエスに対するヤハウェ神の立場が反映されています。

また瓢箪に戻りましょう。与佐宮=匏宮(ひさご)のある籠神社は瓢箪を介して朝鮮半島から巨丹にまで一本の線で結ばれてしまいます。瓠公が丹波の出身ならもう完璧ですね。籠神社はアマテラスの元伊勢伝説の地、豊受大神はここから伊勢神宮の外宮に鎮座しました。真名井神社にはダビデ王の六芒星紋までありますし、シルクロードを西にどんどん行けば、その先にはメソポタミアとイスラエルがあるのです。

以上、籠神社(与佐宮、真名井神社)とその一帯(若狭、丹波、丹後)は実に日本における巨丹でした。巨丹、伏羲、赫居世、瓠公、オノコロ島、与佐のいずれもが瓢箪(ひさご)であり、巨丹、中国、朝鮮、日本まできっちり繋がってしまうのです。だからこの地には、巨丹と同様に徐福伝説、浦島伝説、八百歳まで生きたとされる八百比丘尼伝説、水銀の丹生神社など、不老不死にまつわる伝説や事象が数多く存在します。ちなみに八百比丘尼は安倍晴明の宿敵となる陰陽師秦道満の娘とされています。

既に書いたように、巨丹と日本との関係は、中国の神話にもその反映が見られます。中国の神話は、西方の崑崙山=巨丹と、東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛洲=日本)の二系統にちなむものが多いのです。それは、巨丹から日本に到来したスサノオ族と秦氏の足取りを示すものであり、巨丹と日本が死と再生の特異点であることをも示しています。

アフリカ大地溝帯のアファール三角地帯(発散型プレート三重点)において、獣であった共通祖先はヒトになりました。そこが、心の世界(=第三の世界)が開けた特異点です。

現生人類は大地溝帯が発する気の流れに沿って、死海地方すなわち死海地溝帯の北端部であるプルアパートベイズン(死と再生のミニ特異点)に入ります。この地方には、人類発祥の秘密を記した創世記や、人類の死と再生を象徴する方舟がありました。

死海地方を拠点として現生人類は世界に散らばり、気の源は崑崙に発するとされる巨丹(死海地方と同じ死と再生のミニ特異点)に到達したシュメール人の祖は、一旦メソポタミア地方に入って、世界最初の都市文明を花開かせます。

外敵の侵入や塩害、洪水などによる生産力の低下で危機に瀕した彼らは、メソポタミアを出て再び巨丹に入り、神農や伏羲に変身。彼らの子孫たちが中国経由で、陸上と海溝のプレート三重点があり世界の気が流れ込んで収束する地点、すなわち日本に向かったのです。

続いてイスラエル十支族も巨丹で秦氏に変容し日本に到来しました。そして日本は、他律的集団主義という第四の世界が開けた特異点です。よって死海や巨丹は第三から第四の世界へと移行する中間点、中継点(ミニ特異点)になるのです。死海地方や巨丹に死と再生の記号が多く出現するのは、これが理由と見て間違いないでしょう。

日本には世界のあらゆる要素が流れ込んでいる、また日本列島の形は世界の縮図のようだとよく言われますが、そうなったのは上記のような構造があったからだと考えられます。

以上より、シュメール陸上系のスサノオ、イスラエル系の秦氏が日本に到来した経路が明らかになったはずです。ちなみに、到来の『到』の字は、『臻』とも書きます。秦氏が日本の地に至ったから臻なのです。スサノオはシュメール渡来の民で、秦氏はその弟分に当たりイスラエルの民、両者は巨丹経由日本に渡来して、猿田彦とも協力関係にあるという結論が一応導き出されました。

宇宙開闢、生命の発祥、人類の発祥、シュメールやイスラエルの民が日本に渡来した経緯などに一定の結論が得られました。謎解きの旅はいよいよ日本国内に移っていきます。最も解明が難しい、第四の世界がこの日本において開けた謎、すなわち日本人の意識構造が反転した謎(=日本人の特殊性の謎)がのようにして発生したのかを、スサノオや秦氏などの日本における活動を通して解明していきたいと思います。またそれこそが、現在の日本が抱える全ての困難や問題を解決する鍵になるはずです。

            ―日本に秘められた謎を解く その1に続く―
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酔石亭主

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