尾張氏の謎を解く その130


酒見神社を出て、次の元伊勢候補地・浜神明社に向かいます。こちらは真清田神社の境外社となっており、同社から東に進めばすぐの距離となります。


鎮座地を示すグーグル画像。社名表記はありません。

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鳥居と濱神明社の社号標。

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社殿前

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社殿

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船繋松と御こしかけ石。倭姫命関連はなぜかこうした磐座が多いようです。

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船繋松。何代目かの松です。

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倭姫命の御こしかけ石。

倭姫命の痕跡とされるものは存在するようですが、これだけではこの場所が元伊勢・中島宮かどうかわかりません。図書館で「真清探当証 復刻版」を見ていたところ詳しい解説が載っていました。

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浜神明社の記事。画像サイズを大きくしています。関係する部分を抜書きします。

当社は垂仁天皇の御字、倭姫命が神鏡(八咫鏡、天照大神)を奉載し、美濃国伊久良川の宮より、尾張国中島の宮に御遷幸の時この処に在したによって、地名を神明津又は神明渡(しめど)ともいひ、よって社号を浜神明社と称する。古昔この辺りは海潮満干する浜辺であって、神人此処に漁って真清田神社及び当社の御贄に供えたが、今は水田になったといふ。当社は真清田神社第六の別宮であって、往古東神明と称した。
…中略…
当社殿の東北辺にある舟繋松は、その一大根株が明治十五年頃まで存したといひ、倭姫命の御舟を繋ぎ給うたと言伝え、…中略…また神殿の東方なる御こしかけ石は倭姫命がこの地に来たり、この石に腰を掛けて憩はれたと伝へる。

上記からすると、浜神明社は中島宮ではなく、中島宮に御遷幸の時に立ち寄った場所となります。酒見神社を中島宮に比定した場合、浜神明社の地から船に乗って桑名に向かったのでしょう。

                尾張氏の謎を解く その131に続く
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