尾張氏の謎を解く その134


前回で、尾張国中島郡日下部郷に伊福村があり、そこに伊副神社が鎮座していたと書きました。これは位置関係や史料の内容面からの推測です。一方「尾張国風土記逸文」は、尾張国愛知郡日下部郷に伊福村があるとしています。「和名抄」には愛知郡と中島郡に日部(くさかべ)があると書かれ、「延喜式神名帳」は愛知郡に伊副神社があるとしています。尾張国愛知郡日下部郷伊福村に式内社・伊副神社が鎮座していたとの古い史料でもあれば話は簡単ですが、うまく揃ったものはなさそうです。

一方、徳重熊野社(鎮座地は名古屋市緑区鳴海町字神ノ倉2)と富士浅間神社(鎮座地は愛知郡東郷町春木狐塚)の2社は式内社・伊副神社の論社となっており、神社庁は富士浅間神社を伊副神社に充てています。


徳重熊野社の鎮座位置を示すグーグル画像。表示はありませんが山の中に鎮座しています。


富士浅間神社の鎮座位置を示すグーグル地図画像。

では、徳重熊野社と富士浅間神社が「尾張国風土記逸文」の記事・愛知郡日下部郷伊福村に整合する場所なのでしょうか?両社は愛知郡に鎮座していますが、実は山田郡(領域は諸説あり)だった可能性もあり、山田郡は戦国時代半ばに愛知郡に編入されています。この辺りは実にややこしいので、一応両社は愛知郡に鎮座していたとしておきますが、日下部郷の存在は確認できません。他の史料を探してみましょう。

1707年に成立した「本国神名帳」を見ると、鳴海の庄駅中に従三位伊副天神があると書かれていました。ただ頭注には、鳴海の駅 頭護山如意寺の縁起によると、この社は今は絶えたとの記事が見られます。(注:本国神名帳は愛知県のデジタルライブラリで原文をチェック可能ですが、手書きなので読みにくい)

頭護山如意寺は現在も名鉄鳴海駅のすぐ近くの名古屋市緑区鳴海町字作町85に存在し、ホームページには「900有余年の歴史のある寺院で、現在地には1281年移転した。」と書かれています。となると、「本国神名帳」にある鳴海の庄駅中に従三位伊副天神は鎮座していた、言い換えれば現在の名鉄鳴海駅の近くに鎮座していたと推定され、しかも既に廃絶したことになります。それは以下の話からも確認されそうです。

尾張国の国司である藤原元命(ふじわらのもとなが)は数々の非道な行いにより989年に解任され、そのことが如意寺の由来とも結び付いていました。藤原元命は尾張に赴任して鳴海を自分の住まいとします。彼はこの地で悪行を重ね、従者の為家と共に青鬼に捕えられ地獄に送られそうになりますが、地蔵菩薩に救われます。為家は心を改め雲道開法師となり、康平2年(1059年)に如意寺を建立しました。藤原元命に関してはWikiに詳しいので以下を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%85%83%E5%91%BD

鳴海における上記ストーリーが従三位伊副天神と合わせて書かれていることから、「本国神名帳」に記載された伊副天神は現在の名鉄鳴海駅近くに鎮座していたと考えられます。鳴海なら間違いなく愛知郡で、天平15年(743年)の東大寺正倉院丹裏古文書に成海郷と記載あります。徳重熊野社の鎮座地は名古屋市緑区鳴海町字神ノ倉2ですが、こちらは鳴海駅からだと直線で約5.5㎞となります。

「本国神名帳」の成立は1707年とされており、古代東海道の両村駅を鳴海駅として間違えたのかもしれません。両村駅比定地は幾つかありますが、豊明市沓掛町上高根とすれば、特使が熊野者までの直線距離が4.3㎞ほどで、富士浅間神社までだと2.3㎞程度となります。


豊明市沓掛町上高根の位置を示すグーグル地図画像。

以上、「延喜式神名帳」に「尾張國愛智郡伊副神社」とあり、「尾張国風土記 逸文」によれば愛知郡日下部郷伊福村が存在すると確認され、「和名抄」には愛知郡の地名として日部(くさかべ)が存在します。各史料を読むと、表面的には愛知郡に伊副神社があるように見えますが、日下部郷も伊福村も不明なためとても断定できるほどのものではありません。

さらに他の史料に当たってみましょう。天保15年(1844年)に成立した「尾張志」を見ると、伊副神社に関して、「當社は今坐地當郡ならす考ありて別記にいへり」と記載ありました。當郡とは愛知郡を意味しており、伊副神社は愛知郡に鎮座していないとの見方があると書いている訳です。この記事から、伊副神社鎮座地は山田郡或いは中島郡と推定することも可能です。

一方「尾張志」で祐福寺村(富士浅間神社鎮座地の村)の項を見ると以下のように書かれていました。

延喜式神名帳に愛智郡伊副ノ神社と見え本国帳に従三位伊副天神と記し仙覚法師(1203年に生誕)が万葉集抄に引たる尾張風土記に伊福村とあるはこの村のことなるべし。村名を寺号とせしが…以下略

これはかなり重要な内容です。「尾張国風土記 逸文」の愛知郡日下部郷伊福村は富士浅間神社が鎮座する祐福寺村だと書かれているからです。祐福寺は建久2年(1193年)に創建された寺院です。詳細は以下のWikipedia記事を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%90%E7%A6%8F%E5%AF%BA

日本福祉大学の「知多半島古代史像の追及・試論」には以下の記事があります。

『万葉集註釈』(万葉集抄のこと)所引「尾張国風土記」逸文には、愛知郡日下部郷伊福寺(村の誤記)が出てくる。

「万葉集註釈」はデジタル化されているものの、全20巻もあるのでとてもチェックできません。「尾張志」にある祐福寺村の記事は「知多半島古代史像の追及・試論」の内容とも関連していそうです。どうもすっきりしないのですが、伊福村の村名を取って祐福寺と言う寺号を持つお寺が創建され、今度はその寺号を村名にしたと言うことなのかもしれません。それを示すかのように、祐福寺と富士浅間神社はお隣同士となっています。ただ、伊福が祐福に転じるのはかなり無理があり、逆に伊福寺(伊福村)が中島郷の宇福寺に転訛したと考えることは十分に可能です。

明確ではないものの、富士浅間神社が愛知郡及び伊福村に鎮座していた伊副神社である可能性は出てきました。残る問題は日下部郷です。祐福寺村が日下部郷内に存在したのであれば、この場所が式内社・伊副神社の比定地となります。

と言うことで、愛知郡日下部郷の所在地を再検討します。愛知郡はほぼ現在の名古屋市全域と考えられ、千種区から東区にかけては物部郷があったとされています。物部郷に関しては上記だけでなく、中区、西区、中村区なども含むとの説もあります。郷名としての物部郷は多分千種区から東区一帯だったのでしょうが、当初は中区、西区、中村区だけでなくより広範囲な地域が物部氏の領域だったと推定しています。

さてそこで、以前「熱田神宮の謎を解く その19」で高牟神社を取り上げています。同社の解説板には、昔、このあたりは常世の草香島(くさかじま)と呼ばれていたと書かれています。そう、物部氏の支配地である物部郷の一部が朝廷の直轄地となり、日下部郷に変わったことから、このあたりが草香島と呼ばれるようになったのではないでしょうか?断定はもちろんできませんが、愛知郡日下部郷に関しては現在の千種区一帯の可能性があります。

前回で、「朝廷の直轄領としての日下部と、物部氏に結び付いた草香や日下は分けて考える必要もありそうです。朝廷の直轄領としての日下部は中島郡日下部郷でしょうが、尾張草香と目子媛の話は中島郡ではなく、愛知郡における日下部郷の話と考えるべきなのです。」と書きました。尾張草香と目子媛は高牟神社=常世の草香島周辺の出身で、そこが愛知郡日下部郷と考えれば整合性のある話となりそうです。

それはさて置き、式内社・伊副神社に関しては以下の可能性があります。

1. 中島郡日下部郷内に伊福村がありそこに鎮座していた伊副神社が遷座して宇福寺天神社になった。
2. 現在の名鉄鳴海駅近くに伊福天神が鎮座していたが廃絶した。
3. 徳重熊野社がかつての伊副神社。
4. 愛知郡(?)の祐福寺村(かつての伊福村?)に鎮座していた伊副神社が現在の富士浅間神社。


これほどややこしい問題に悩まされるとは、検討を始める前は露ほども思っていませんでした。

上記の中で可能性が高いのは、宇福寺天神社と富士浅間神社ですが、酔石亭主としては伊富利部神社と海部郡伊福郷に鎮座する伊福部神社との位置関係を重視して、宇福寺天神社がかつての式内社・伊副神社としておきます。では、徳重熊野社と富士浅間神社の2社はどうなるのかとの問題が残りますので、次回以降で検討してみます。

             尾張氏の謎を解く その135に続く
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