尾張氏の謎を解く その138


2016年も尾張氏の謎解きが最初の記事となります。終了まであと一息ですが、まずは尾張における伊福部氏を見ていきましょう。「天平六年尾張国正税帳」には主帳外少初位上勲十二等伊福部大麻呂とあり、郡の記載順序からして知多郡にも伊福部氏の存在が見られることになります。富士浅間神社周辺に来た伊福部氏が鳴海にまで下り、船で知多半島に上陸したとの推定もできそうです。

知多郡に関連する木簡には五百木部の記載もあり、ここからも伊福部氏が知多郡まで南下していた様子が見て取れます。但し、年代的には相当遅くなってからのことでしょう。知多郡の五百木部に関しては「阿久比神社」のところで書いていますので、参照ください。

こうして見ると、伊福部氏の美濃・尾張における存在感は尾張氏に匹敵するようにも感じられます。以上、尾張氏高尾張邑発祥説は間違いであり、天火明命と天香山命は本来尾張氏の祖神ではなかったとする酔石亭主の主張も、一定の根拠を持って確認されました。以下簡単に纏めます。

大和葛城山麓にある高尾張邑の地名は捏造されたものであり、葛城一帯に尾張氏の痕跡はない。葛城を本拠とした葛城族は崇神天皇の時代に滅ぼされた。後代の大和朝廷は葛城族の小国家を取り込んだ形で初期天皇の系図を捏造し、葛城族は土蜘蛛と貶められた。崇神天皇の時代に一旦滅んだ葛城族は葛城襲津彦の時代に復活し葛城氏となった。葛城氏は雄略天皇の時代に再び滅ぼされたが、葛城の地に葛城族の小国家が存在した印象は後の時代まで残ってしまった。

大和朝廷は豪族たちから系図捏造を指摘されるのを恐れ、葛城族を自分たちの下に置く策を考え、尾張氏に協力させた。具体的には尾張氏も葛城にいて葛城族の女と通婚していると言う形にすることだった。これにより葛城族は存在したが天皇家の下の尾張氏と同列に置く形が整うことになる。そして葛城地方に尾張氏が存在しているかのように見せかけるため、高尾張邑の地名を捏造した。この地名は出現の直後土蜘蛛を殺す記事と共に抹消され、葛城邑に戻された。

こうした操作により、初期尾張氏の系図は葛木(葛城)姓の女と通婚する形となった。また天皇家との関係においても、尾張氏の娘が考昭天皇皇妃で考安天皇の母となり、崇神天皇の皇妃となる形で捏造され、初期の尾張氏が大和にいたかのよう見せかけた。大和朝廷による策略は現代の私たちにまで影響を及ぼし、高尾張邑の地名と尾張氏系図を根拠として尾張氏高尾張邑発祥説が唱えられた。

鏡である天火明命と天香山命は共に金属系の神で伊福部氏が奉斎していた。彦坐王率いる遠征部隊は伊福部氏が主力となり、この2神(=鏡)を奉じて丹波、因幡、近江、美濃、尾張へと進軍した。後代の尾張氏は天火明命と天香山命を自分たちの祖神にしたいと朝廷に奏上、天皇家の系図捏造に協力した見返りとして尾張氏の願いは許可された。これが尾張氏高尾張邑発祥説と接続し、天火明命と天香山命が高尾張邑から尾張に来て開拓の祖神になったと誤認される結果を招いた。

注1:尾張氏高尾張邑発祥説の場合、一般的には乎止与命に時代に尾張に移動したとされている。
注2:天火明命と天香山命が高尾張邑から尾張に来て、の部分は「尾張氏の謎を解く その5」を参照ください。


大和朝廷による系図捏造当時、美濃・尾張の伊福部氏は尾張氏に従属的な立場にあった。この時点で尾張氏が天火明命と天香山命を祖神に取り込んだため、伊福部氏は尾張氏同祖として朝廷に奏上せざるを得なくなった。

尾張氏高尾張邑発祥説の検討は以上で終了です。次回は尾張氏吉備・播磨発祥説を検討しますが、多少長いものになるかもしれません。

               尾張氏の謎を解く その139に続く
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