尾張氏の謎を解く その140


尾張氏吉備国発祥説は前回の検討で間違いだったと確認されました。でも、まだ他に尾張氏国外発祥説が存在します。と言うことで、次に尾張氏播磨国発祥説を見ていきましょう。手っ取り早いのは、播磨国において天火明命を祭神とする神社を探すことです。兵庫県たつの市龍野町日山449-1には粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社が鎮座しており、祭神は天照国照彦火明神となります。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

同社概要はWikipediaより引用します。

日山(白鷺山)山頂にて推古天皇2年(594年)の創祀と伝わる古社で、現在は中腹から山麓にかけてが社地となっている。社名の「粒(いいぼ)」は「揖保(いぼ)」の地名の語源とされる。粒坐天照神社は平安時代は『延喜式神名帳』で名神大社とされていた。

粒坐天照神社の概要から何点か指摘できる部分があります。まず創建が6世紀の終わりと遅いことから、天火明命を祀る同社の存在をもって尾張氏播磨国発祥説を唱えることはできない点です。前回で伊福部氏が吉備国に来たのは6世紀の終わり以降ではないかと書いていますが、吉備国に向かったメンバーの一部が途中の播磨国に定住したと考えれば年代的にも筋は通ってきます。

次に、社名は粒坐天照神社ですが、天照の後にあるはずの御魂が抜け落ちているようです。いずれにしても、上記内容だけでは不十分なので、もっと創建の経緯を詳しく見ていきましょう。Wikiに記載はありませんが、神社の創建に伊福部氏の関与が見られます。その概要は以下の通りです。

第33代推古天皇の御世に伊福部連駁田彦(いふきべのむらじふじたひこ)という長者がいた。彼の屋敷の裏にあった社の上に童子が現れた。童子は「私は天火明命の使いで、天火明命の幸御魂はこの地に鎮まり、この土地と人々を守って既に千年を越えている。汝は正直で誠実なので、神勅を授けよう。神勅を奉戴し新しい神社を造営して奉祀せよ」と言った。また、「種稲を授けるので水田を耕作すれば豊かに稔る」と言った。授かった種稲で水田を耕作したところ大豊作となり一粒万倍となった。これにちなみこの土地は米粒を意味する粒(いいぼ、揖保)の郡と呼ばれた。人々は大いに感謝し、この神社を粒坐天照神社と称して崇めた。

いかがでしょう?吉備国に続き播磨国でもやはり伊福部氏で、天火明命と結び付いていました。尾張氏はどこにも出てこないと理解されます。上記記事で面白いのは創建の経緯です。この神社の創建においては、種稲が最も重要な要素となっています。そして古代における尾張氏の最重要人物が建稲種命(たけいなだねのみこと)でした。

建稲種命の父は乎止与命で母は眞敷刀婢命(ましきとべ、尾張大印岐の女)。日本武尊の妻となる宮簀媛命は彼の妹。彼の妻は邇波県君の祖である大荒田命の女・玉姫となります。尾張氏にとって必要不可欠な要素を全て体現した人物・建稲種命の名前が、粒座天照神社の最も重要な要素である種稲と同じであるのが実に不思議です。伊福部氏の中には、建稲種命に従うことで自らもより豊かになった記憶が残っており、後代の伊福部氏はそうした経緯を念頭に置いてこの神社の創建に関与したのかもしれません。なお、粒座天照神社の詳細は以下を参照ください。写真も多くあり参考になります。
http://enkieden.exblog.jp/20520461/

播磨国をさらに詳しく見ていきましょう。「播磨国風土記」を開くと天火明命が全く異なる姿で描かれていました。「播磨国風土記」飾磨郡(しかまぐん・しかまのこおり)の条によると、概略は以下の通りです。

大汝命の子の火明命は強情で行状も猛々しかった。これを思い悩んだ父神は子を捨てようと思い、因達の神山で水汲みするよう命じ、まだ帰ってこないうちに船出して逃げ出した。火明命は怒り狂って風波を巻き起こし、大汝命に追い迫り、父神の船を難破させてしまった。

ここでは天火明命の父神が出雲系の大汝命(=大国主命)となってしまいました。しかも、強情で行状も猛々しいとあります。天照大神の御魂(=鏡)であった天火明命のイメージが壊れたような状態となっていますが、これは伊福部氏の移動に伴って出雲系と伊福部氏の間に諍いがあったことを神話的に語っているのでしょうか?

続いて、「播磨国風土記」の揖保(いひぼ)の里の条を見ていきます。この里を粒(いひぼ)と称する理由は以下の通り。

天日槍命(あめのひぼこのみこと)が韓国から渡って来て宿所を葦原志挙乎命(あしはらのしこおのみこと=大国主命)に依頼した。志挙は海上にいることを許したが、剣で海水を掻き回した。その猛々しい行為を恐れた志挙は先に国を占めようとして、粒丘に上がり急いで食事をした。すると口から米粒が落ちた。だから粒の丘と呼ぶ。

これは粒座天照神社の由緒とは異なっていますが、似通った雰囲気も感じられます。大陸や大和、出雲の影響を受けた播磨国には様々な要素が入り込んでいるので、なかなか面白そうです。いずれにしても、上記の検討結果から播磨国に尾張氏の存在を認めることはできません。(注:これは尾張氏発祥地としての意味であり、後代になって尾張氏の一部が移住した可能性を否定するものではない点お含み置き下さい)

以上で尾張氏国外発祥説(高尾張説、吉備・播磨説)は葬り去られたことになります。また尾張氏国外発祥説は、主に伊福部氏の活動が尾張氏のものと誤認されたことにより発生したと理解されます。

                 尾張氏の謎を解く その141に続く
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