松炬島散歩 その4


今回は鳥栖八剱社を見ていきます。

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鳥栖八剱社の鳥居。

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社殿に向かう石段。

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八剱の松の解説板。

歌碑が神代文字の阿比留文字をまねて書かれているとのことです。現在松はありませんが、薄れた写真を見てもかなり大きな松だったと理解されます。

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歌碑。 確かにハングルに似ていますが、なぜこのような文字にしたのでしょう???

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拝殿。

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本殿。

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石碑。

八剱社境内にあったものか、次に行った成道寺のものか忘れてしまいましたが、ここで書いておきます。桜や千竈の村名も出てきます。

新屋敷は往古名郷村と称し山崎村の一隅にあったものが、人家を字鳥栖に移し爾来新屋敷村と改め、愛知県尾張国愛知郡に属す。明治十一年十一月、山崎、戸部、櫻の三村を加え一村とし千竈村となった当時新屋敷の戸数は百七戸で概ね農家にして田園の間に散在せり。…以下略

同社の由緒が幾つかの解説板に書かれているので見ていきましょう。

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解説板 その1。

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解説板 その2。 社殿前南の道路が鎌倉街道とあります。新中の道ですね。

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解説板 その3。

創建は和銅元年(708年)9月9日で、祭神は天照大神、素戔嗚尊、天忍穂耳命です。ただ、由緒内容は他の史料とは異なっています。解説板その3の内容を以下に記載します。

創建和銅元年(708)多治比真人
○多治比は7世紀の天武・持統・文武に仕えた貴族・当境内に神剣を造るため仮神殿にて、安部朝臣と三十七日間のみそぎを行い神宮に納めた勅使。
○和銅元年に新羅の僧、道行が熱田神宮の草薙剱を盗み去ったときこのことが、元明女帝に知られるのを恐れ、神剣を新しく作ることを命じ鍛冶屋がこの地で製作し熱田神宮の別宮の八剣宮に、同年9月9日に奉納したという伝説がこの社に起源説話です。ただしこの盗難事件は日本の正史である日本書紀には天智7年(668)のこととしています。

由緒に多治比真人とあるのは天武天皇― 持統天皇― 文武天皇に仕えた多治比真人嶋のように見えてしまいますが、彼の没年は701年で708年には存在していません。元明天皇の時代は多治比真人池守となるはずで、大きな間違いがあります。また安部朝臣は安倍朝臣宿奈麻呂のことを意味するはずです。確認のため「尾張志」を参照したところ、元明天皇の御代和銅元年九月九日勅命により宝剣を新たに収蔵し多治比眞人池守、安部ノ朝臣宿奈麻呂等勅使として参向云々の記述があり、やはり解説板の記述には誤りがあるようです。

草薙神剣盗難事件はうんと簡単に書くと、天智天皇7年(668年)に発生し、新羅僧・道行が熱田社(現在の熱田神宮)から草薙神剣を盗み出し、逃げようとしたところ暴風に遭って剣は取り戻され、なぜか宮中或いは朝廷の管理下に置かれ、天武天皇の朱鳥元年(686年)に天皇の病気の原因が神剣の祟りとの占いが出て、朝廷から熱田社に返還された。しかし天皇は同年の9月9日に崩御した。その後日談として、元明天皇の勅命により7口の宝剣が造られ和銅元年(708年)9月9日に八剣宮が創建され、この時点で全てが収束しています。

神剣盗難事件に関しては「熱田神宮の謎を解く」シリーズでも取り上げていますが、もう少し考えてみます。まず、鳥栖八剱社の由緒は非常に理解しがたいものになっています。盗難事件発生の年代が異なる点は一旦横に置きます。由緒には、道行が熱田神宮の草薙剱を盗んだことが「元明女帝に知られるのを恐れ、神剣を新しく作ることを命じ云々」とあります。

これは、誰が元明天皇に知られるのを恐れて、神剣の製作を命じたのでしょう?熱田神宮でしょうか、尾張氏でしょうか、或いは多治比真人と安部朝臣なのでしょうか?由緒内容は作為が多すぎて不明瞭なため、じっくり解読していきます。

最も恐れる可能性のあるのは神剣の直接管理者・熱田神宮(=尾張氏)になるはずです。けれども、事件発生から16年後に神剣は戻っており、708年時点では40年も前の話となるので何ら恐れる理由はありません。赤字で書いた文面を読む限りでは、神剣を新しく作ることを命じたのは多治比真人と安部朝臣になりそうです。

でも、本当にこの二人が恐れたのでしょうか?彼らは重要閣僚であり、すぐ後に平城京遷都の責任者となるメンバーです。そんな彼らが元明天皇に知られるのを恐れたとは考えられません。そもそも彼らは勅使として尾張に入っているのです。勅使とは勅命を受けた使者であり命令を下したのは天皇以外にありません。「尾張志」を読めば、はっきり勅命により、と書かれています。二人は天皇から命じられた通りの仕事をしただけで、何も恐れるものはなさそうです。これで本件における当事者は誰も、天皇に知られるのを恐れる必要はなかったと理解されます。

いや、まだ恐れる可能性のある人物が存在していました。他ならぬ元明天皇自身です。由緒内容とは異なってしまいますが、そもそも天皇が恐れたなどと由緒を書くのは当時としても不敬に当たります。1300年前の田舎の神社の神官がそんな趣旨の文章を書き後代に伝えるはずがありません。では、仮に元明天皇が恐れたとして、それを立証するような何かがあるでしょうか?

極めて怪しく思われるのは、天武天皇の崩御月日が9月9日で、7口の神剣を新たに造り八剣宮を創建したのも9月9日であると言う点です。元明天皇は明らかに草薙神剣の祟りで天武天皇が死去した月日を意識しています。天武天皇が祟り死にした薄気味悪い月日を八剣宮創建日に設定できるのは、元明天皇しかいないと思われます。仮に鎮魂の目的で作らせたと考えても、天皇霊は継承されていくものなので筋が通りません。

さらに不審な点があります。元明天皇は和銅元年(708年)に平城京遷都の詔を発し、9月30日に多治比と阿倍宿奈麻呂(安部朝臣)は造平城京司長官に任ぜられています。そんな多忙を極める時期の少し前に、37日間もみそぎをする余裕があったのでしょうか?みそぎの余裕などないはずなのに敢えて命じたとすれば、八剣宮の造営は元明天皇にとって最重要事項だったとしか考えられません。その意味は何か?

草薙神剣は天智天皇の御代に宮中或いは朝廷の管理下となり、次の天武天皇の時代に祟りが起きています。持統天皇や文武天皇は祟りを受けずに過ごせましたが、自分はどうかわからないと行明天皇は恐れたのではないでしょうか?

平城京遷都の目的は衛生状態の悪さや藤原不比等が権力を独占するためだとの説もありますが、人心の一新を図るものでもあります。遷都に当たり過去のしがらみや起こりうる危険は事前に排除しておく必要がある。そう考えた天皇は、草薙神剣の祟りが自分の身に降りかからないよう、また子や孫の代まで祟られないよう手を打ったのです。天皇はそのために7口もの神剣を新たに揃え、草薙神剣の祟りを封じ込めようとした。それ以外に筋の通る説明は不可能です。

そもそも草薙神剣は皇室の三種の神器の一つとされ、それが事実なら天皇に祟るなどないはずです。朝廷は天智天皇の時代に尾張氏から草薙神剣を取り上げ、自分たちの神器にしようとした。だから剣が天皇に祟る事態となったと考えるのが筋の通った見方です。つまり道行の盗難事件は実際にはなかったと判断されるのです。天智天皇の御代に神剣を盗んだ道行が、天皇の勅願所となる知多市の法海寺を事件発生と同じ年に創建するなどあり得ません。

むしろそうした捏造ストーリーを自分のものとして引き受け朝廷に協力したから、褒賞として法海寺の創建を許されたと考えるべきでしょう。(注:史料の中には斬刑になったとの記述もあり)

鳥栖八剱社の由緒は和銅元年(708年)に草薙神剣が盗まれたと記しています。それは、このよう書かないと元明天皇に知られるのを恐れ、との内容に繋がってこないからだと理解されます。けれども、改竄した記述により別の矛盾が露呈してしまい、却って真実が明らかになったようにも思えてきます。

708年に神剣が盗まれたとの鳥栖八剱社所伝からは、別の見方も浮上してきます。この時点で神剣が盗まれたとのストーリーが朝廷の手で捏造された。その捏造に信憑性を持たせるため、二度と神剣が盗まれないようにする趣旨で、ダミーの宝剣を7口造り、八剣宮を創建させてそこに収蔵させた。これにより、盗賊が押し入ってもどれが本当の神剣かわからなくなる。ダミーの宝剣は一種の影武者的なものとなる。と言ったストーリーです。

もちろんこのストーリーには無理があります。八剣宮には新たに造った7口の宝剣のみが祀られるのですから、盗賊の目を欺くことはできません。それでもこのストーリーには一定の効果があり、実際、盗賊の目を欺くため八剣宮を創建したとの説も後世になって現れます。

とんでもない捏造ストーリーですが、熱田神宮側は朝廷側の強い意向を受け入れざるを得なかった。捏造ストーリーが708年に出来上がったことから、鳥栖八剱社側が勘違いして708年に盗難事件が起きたとの話になった。そう考えれば筋は通ってきます。なお、7口の宝剣が祀られているだけなのに、なぜ八剣宮なのかとの疑問も出てきます。(注:熱田神宮の火災で、ごく短期間八剣宮で祀られていたこともある)八剣宮は弥剣宮だったと考えれば、八は数を表したものではないと言い得ますが、ここでの追及は止めておきます。

本記事は謎解きシリーズではないので、一つの仮説として上記の考え方を提示しておきます。草薙神剣盗難事件は尾張のみに留まらない広がりを見せており、今後さらなる追及が必要だと実感しています。
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