松炬島散歩 その13


桜神明社から富部神社へと向かいます。行き方は「その12」のグーグル画像を参照ください。画像の下方ほぼ真ん中辺りに交差点があり、ここは南北に走るかつての東海道と塩付街道が交差する場所となっています。塩付街道は星崎一帯で生産された塩を足助経由で信州方面に運ぶための道とされています。

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交差点の写真。石柱にも二つの道の名前が刻まれています。

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解説石板。画像サイズを大きくしています。

上記の石板には出ていませんが、富部神社と長楽寺の脇を南北に走る道は鎌倉街道・下の道となります。下の道は白毫寺付近で中の道に合流しています。

では富部神社(とべじんじゃ)に行ってみましょう。鎮座地は名古屋市南区呼続4丁目13−38。

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富部神社の鳥居。

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鳥居の隣の境内社。なかなか立派です。

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解説板。

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広い境内と立派な拝殿。

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詳しい解説板。

創建時期が1603年とのこと。もう一つの解説板は1606年でしたが…。それにしても、蛇毒神天王とは凄い社名ですね。同社のホームページをチェックし田ところ以下の由緒が書かれていました。

富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まる。その後慶長11年(1606)、清洲城主 松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建された。なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができる。創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至る。蛇毒神は牛頭天王(ごずてんのう)の眷属の1神とも、また八王子の1神とも言われ、牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰された。

同社ホームページは以下を参照ください。
http://tobe-shrine.opal.ne.jp/

なるほど、ホームページの内容なら創建時期の疑問は解消です。津島神社の荒御魂社は素戔嗚尊の荒御魂を祀っていますが、由緒によれば、元は蛇毒神社と称し八岐大蛇の御霊を祀っていたとのことです。牛頭天王の妻である婆梨采女(はりさいじょ)の子の一人が蛇毒気神とされているので、こちらに由来する話と思われます。蛇毒神社では社名があまりにも恐ろしすぎるので、神社のすぐ南の地名である戸部を富部として変更したのでしょうか?

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重文に指定された本殿です。造立当時のものとのことですから、1606年の建築でしょう。

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もう一枚。さすがに見事な神社建築です。ただ、全体を朱塗りするのはちょっと雰囲気を損ねるような気もします…。
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