松炬島散歩 その14


富部神社を出て長楽寺の脇を南北に走る鎌倉街道・下の道を北に向かって歩きます。するとすぐに神社の鳥居が目に入りました。


神社の位置関係を示すグーグル画像。

地図の画像はややわかりにくいので、拡大してご覧ください。赤い屋根の上に長楽寺とありますが、この位置が清水稲荷神社となります。すぐ右側の道路が鎌倉街道・下の道に当たります。

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清水稲荷大明神とあります。

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次の鳥居と境内。

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鮮やかな朱塗りの拝殿です。

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本殿。

どうもこの神社は稲荷山長楽寺の鎮守社のように思えます。解説板がないのではっきりしません。Wikipediaにて長楽寺をチェックしたところ以下の記載がありました。

寺伝によれば、弘仁12年(821年)に空海が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建。真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したという。その後、寺は一山十二坊を有するまでになったが、やがて寺勢も衰えた。それを文明年間(1470年頃)に義山禅師が再興し、永正5年(1508年)に今川氏が諸堂を再建。この頃に曹洞宗の寺となり、明谷禅師が寺号を長楽寺と改めた。慶長8年(1603年)清洲城主松平忠吉が、当時境内にあった素盞鳴尊を祀る祠に病の平癒を祈願し回復した事から、慶長11年にこの祠を東に移して富部神社とするとともに、書院、客殿等の諸堂を建てたとも伝わる。

なるほど、長楽寺境内の鎮守社であった清水叱枳眞天が現在の清水稲荷大明神(清水稲荷神社)になりそうです。また同じく境内にあった素盞鳴尊を祀る祠が東に遷座して富部神社となったようです。全ての元は長楽寺にあったと理解されます。それにしても、蛇毒天王やダキニ天など恐ろしげな名前の神様が揃っていますね。

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奇妙な石像もありました。

境内のそこかしこにこうした中国風の石像が見られます。一体何を意味しているのでしょう。この一帯の怪しさが増してきます。

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富部神社本殿。

清水稲荷神社の塀越しに富部神社の本殿を見ることができました。
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