邪馬台国と大和王権の謎を解く その12


古墳の辺りは一面の田園地帯ですが、続いて茅原の集落内に入ります。見どころになりそうな場所として、前回の地図画像で大神神社富士厳島神社社務所がありました。早速行ってみましょう。

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大神神社末社 富士神社 厳島神社とあります。背後の巨木を見ていきます。

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なかなかの巨木です。

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もう一枚。

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何と積み重なった巨石に根を絡ませています。

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間違いなく古墳の巨石です。盛り土は失われ石材が露出した状態となっています。

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内部が見えそうになっています。

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巨石の隙間。

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古墳内部。羨道部分には刳抜式家形石棺が存在するとのこと。

この古墳は弁天社古墳と称されているようです。狐塚古墳も弁天社古墳もここに古墳があるとは知らず見つけたものです。弁天社古墳のすぐ南には倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)を祀る神御前神社が鎮座しています。この神社は後の回で書くことにして、茅原集落を北に進みます。

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集落内の茅原の掲示板。

周辺の家々には表札の横に以下のような木札が掛けられていました。

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三輪明神 大神神社 守護之家 明神講 と書かれています。

その上の簡単な絵も興味深いですね。三輪山と太陽と大神神社の神紋となる三本杉が描かれています。実に的確にこの神社のありようを示しているとは思えませんか?また茅原が三輪山祭祀の核心部であることをこの木札が今も示しているような気がします。茅原の集落を北に進むと、家並みはすぐに途切れ比較的大きな古墳が見えてきます。茅原大墓古墳です。

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茅原大墓古墳。

4世紀末から5世紀初めの築造とされる全長約86mの「帆立貝式古墳」です。

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三輪山を背に撮影した茅原大墓古墳。

奈良盆地東南部で3世紀代から続々と大型古墳が築造されてきましたが、この古墳はその最後となるものです。4世紀後半以降の大型古墳の築造は奈良盆地北部や河内地域に集中することから、三輪周辺における政治勢力が衰退し奈良盆地北部や河内地域に移っていく過程を示す古墳とも言えそうです。

茅原大墓古墳を後にして、さらに北に進むと纏向川に至ります。

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纏向川です。

川沿いのお宅は実に大きな邸宅となっています。古代であれば大豪族の居館でしょうか?

ここまでで大和川と纏向川に挟まれた三輪山西麓の水垣郷をレンタサイクルで巡ってきました。日本最高の聖地とも言える場所をほぼ端から端までゆっくり見て回れたのですから、感動ものです。ただ、本シリーズの謎の中心は纏向川の右岸(北側)にありますので、次回以降は謎の核心部へと迫っていくことになります。

もちろん、今までに見てきた場所も謎解きと関係しそうですし、崇神天皇、倭迹迹日百襲姫命、大田田根子命などは謎解きにおいて重要だと思われますので、今後も登場してくるはずです。次回は、位置的には倭迹迹日百襲姫命が被葬者とされる箸墓古墳になりますが、そこは後に回し、邪馬台国と大和王権の謎の核心部となる纏向遺跡の検討に入ります。

         邪馬台国と大和王権の謎を解く その13に続く
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