邪馬台国と大和王権の謎を解く その13


本シリーズも13回目にして、いよいよ謎解きの本丸が近くなってきたようです。と言っても、実際には大手門に差し掛かったに過ぎません。きっと行く手には様々なトラップが仕掛けられているのでしょう。頭上から矢を射かけられ、鉄砲で撃ち込まれ、果ては熱湯まで浴びせられるかもしれません。

それほど大変な謎とは思いますが、余計な話はここまでにして、今回は纏向遺跡から見ていきましょう。邪馬台国畿内説(大和説)が正しいとすれば、箸墓古墳が卑弥呼の墓で、纏向遺跡内に卑弥呼の祭祀用建物や居館があったことになります。仮に畿内説が正しいとして、では邪馬台国の後継が大和王権なのか、そうではないのかも大きな謎となって私たちの前に立ち塞がっています。

邪馬台国九州説と畿内説の論争において鍵を握るのが纏向遺跡で、多くの研究者により様々な議論が交わされてきました。特筆すべきは、3世紀末から4世紀初めとされていた箸墓古墳の築造年代が、炭素14年代測定法や年輪年代測定法、土器による纏向編年などにより3世紀中頃から後半との結果になった点です。つまり、科学的な研究によって箸墓古墳の築造年代が卑弥呼のいた頃とほぼ一致したのです。などと言って、本当にいいのでしょうか?

これらの測定法は測定対象物に関し一定の範囲の年代を示すだけのものであり、例えば仮に箸墓から出土した対象物の年代が卑弥呼の時代のものだったとしても、箸墓が卑弥呼の墓かどうかは全く別の話になります。極端な例ですが、江戸時代の大地主の墓が徳川家康と同じ年代のものだったとしても、それを家康の墓とは言えないのです。

また、同じ箸墓の出土物であっても、測定対象が異なれば結果も数十年単位で異なってしまうことから、ある古墳に関して被葬者を決めるのは、考古学的な見地を参照しつつも、最終的には文献・史料による検討で結論を出すしかありません。纏向遺跡の範囲は以下の地図を参照ください。

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纏向遺跡の範囲を示す地図。桜井市立埋蔵文化財センターの纏向遺跡ガイドブックより。画像サイズを大きくしています。

纏向遺跡はほぼこのオレンジの線で囲った範囲内となり、巻向駅のすぐ北西側から(卑弥呼の宮殿だったかもしれない)大型の建物跡(赤丸の15、16辺り)が出土しています。その南には(卑弥呼の墓かもしれない)箸墓古墳(赤丸の1)があり、桜井市巻向小学校の周辺には纏向石塚古墳(赤丸の12)、矢塚古墳(赤丸の10)、勝山古墳(赤丸の11)、東田大塚古墳(赤丸の6)など日本最古級の纏向古墳群が点在しています。一帯の重要性がこの地図だけからも見て取れますね。


纏向石塚古墳、矢塚古墳、勝山古墳、東田大塚古墳の位置を示すグーグル画像。

小学校の右下が石塚古墳(全長96m、3世紀初頭築造)、左下が矢塚古墳(全長96m、3世紀中ごろ以前)、小学校の上が勝山古墳(全長115m、300年前後)、少し離れた画像の下の端付近が東田大塚古墳(全長120m、3世紀後半)となっています。また勝山遺跡から約1㎞の位置に、ホケノ山古墳(80m、3世紀中)、箸墓古墳(墳丘長278m、3世紀半ば過ぎ)があります。

上記数値はいずれもWikiより引用していますが、研究者により異なる部分もある点はお含み置き下さい。例えば、桜井市立埋蔵文化財センターの小冊子「纏向へ行こう」(裏面が上記の地図)には、石塚古墳の築造時期に関して、「庄内1式期(3世紀前半)とする説と、築造が庄内3式期(3世紀中頃)で埋葬を布留0式期(3世紀後半)とする説の2者がある。」と書かれています。なお、各古墳の詳細は後の回でまた取り上げる予定です。


ホケノ山古墳と箸墓古墳の位置を示すグーグル画像。ホケノ山古墳は慶雲寺の左手。

ホケノ山古墳に関しては「尾張氏の謎を解く その32」で書いていますので、参照ください。写真は新たに撮影したものを以下にアップしておきます。

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ホケノ山古墳。

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復元された埋葬施設。

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解説板。

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古墳の上から見た三輪山。

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古墳の上から見た箸墓古墳。

各古墳の規模に関しては、上記数値から箸墓古墳((墳丘長278m。290mとも推定されている)が圧倒的に巨大だと理解されます。箸墓以前の古墳と箸墓古墳とはどう関係してくるのか知りたいところですが、この問題は一旦横に置き、女王卑弥呼の邪馬台国畿内説が成り立つかどうか、纏向遺跡の解説板などを見ながら検討していきます。


纏向遺跡中核部の位置を示すグーグル画像。

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纏向遺跡の解説板。画像サイズを大きくしています。

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纏向遺跡。解説板の建物がほぼ見えると想定される位置から撮影。

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纏向遺跡。ズームします。マスコミなどで取り上げられる場合この位置の写真が多い。

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纏向遺跡から見た三輪山。

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纏向遺跡から見た箸墓古墳。

遺跡や古墳の場合、それらを見ただけでは何もわからないのがちょっと悲しいですね。では纏向遺跡の特徴を検討していきましょう。まず遺跡の範囲です。纏向遺跡は、JR巻向駅を中心に東西約2km、南北約1.5kmとされ、唐古・鍵遺跡の10倍にもなる大規模な遺跡です。

遺跡からは弥生時代の集落は確認されておらず、環濠も検出されていないこと。発掘された弥生土器は「纒向編年」では「纒向1類」になり、西暦180年から210年のものとされていること。生活用具が少ない一方で土木具が多く、巨大な運河や大規模な都市建設の土木工事が行われていることなどから、この遺跡は自然発生的な集落ではなく、180年頃に突然出現した人工的な都市と考えられています。

さらに、発掘された土器のうち2割から3割は他の地域から運ばれたもので、その約半分は東海系の土器が占めています。なぜ東海系が多いのか不思議ですが、その理由も明確にする必要があるでしょう。

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桜井市埋蔵文化財センターで撮影した東海系の土器など。

2011年には、卑弥呼の居館と称された3世紀前半の大型建物跡のすぐ東側からも別の大型建物跡の一部が発見され3世紀後半以降のものとされています。また2013年には邪馬台国と同時代の3世紀前半に建てられた建物の柱穴が100箇所以上も出土しており、これは卑弥呼が祭祀を行った仮設の祭祀用建物のではないかとの見方も出ています。卑弥呼のものかどうかは別として、祭祀に用いられた遺物は大型水路や土坑の中に多数投げ捨てられていたとのこと。

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建物の位置関係を示す図。

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上記建物のミニチュア展示。

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現場写真。

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建物のイメージ模型図。いずれも桜井市埋蔵文化財センターにて撮影。

箸墓古墳は「日本書紀」によれば倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓ですが、彼女に神が憑依する記述もあって、巫女的な存在として描かれていることから、卑弥呼とも重なってきます。

以上のような古墳と遺跡のありようから、纏向遺跡を邪馬台国の中核とした上で、箸墓古墳を卑弥呼の墓に当てれば邪馬台国畿内説が成り立つことになり、近年この説が勢いを増してきました。けれども邪馬台国畿内説論者は、180年頃自然発生ではない人工的な都市が突如出現した背景や、東海系の土器が多い理由も明確に示す必要があります。

また中国側の史書によれば180年頃の倭国は戦乱の真っただ中となっています。そんな状態でなぜ突然人工的な都市が出現し得たのか、なぜ纏向遺跡には環濠などの防御遺構がないのかも、邪馬台国畿内説論者は説明する必要がありそうです。これらの疑問に全て整合するような筋道を示さない限り、邪馬台国と大和王権の謎に迫ることはできません。

纏向遺跡の詳細は以下の「纏向遺跡第162次調査」を参照ください。とても詳しく書かれているので、参考になります。

ちなみに酔石亭主の場合は邪馬台国九州説を支持していましたが、今回の検討で見直す必要が出てきたようです。ただそれは、一般的な意味における邪馬台国畿内説ではありません。邪馬台国九州説論者と畿内説論者のいずれも、卑弥呼の存在と邪馬台国を密接不可分なものと考えています。けれども、あれこれ検討してみるとこの大前提自体に問題がありそうに思えてきました。固定観念的な大前提を一旦取り外して考えれば、今までとは違った景色が見えてくる可能性もありそうです。

上記の諸問題は後で詳しく検討することとして、次回からは「魏志倭人伝」など中国側の幾つかの史書に書かれた内容を追ってみましょう。

       邪馬台国と大和王権の謎を解く その14に続く

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