邪馬台国と大和王権の謎を探る その22


ニギハヤヒを遠祖とする物部氏と台与を女王とする旧女王国グループの関係は前回で確認できました。さてそうなると、崇神天皇はどう位置付ければいいのでしょう?彼もまた3世紀後半頃から4世紀初めにかけての人物であり、もっと具体的には生没年が270年~318年頃になると既に書いています。

崇神天皇は同天皇の3年9月、三輪山西麓の磯城瑞籬宮に遷都しています。そして6年になると、疫病を鎮めるため宮中で祀られていた天照大神と倭大国魂神を外に出してしまいました。宮中を出た天照大神は、豊鋤入姫命と倭姫命に奉斎され各地を流転した後伊勢の地に鎮座することになります。「日本書紀」に書かれた天照大神の動きを以下に記載します。

是れより先に、天照大神・倭大国魂、二の神を天皇の大殿の内に並祭る。然して其の神の勢いを畏りて、共に住むに安からず。故、天照大神を以ては 豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城の神籬を立つ。亦、日本大国魂神を以ては、渟名城入姫命に託けて祭らしむ。然るに、渟名城入姫、髮落ち体痩みて祭ること能はず。

これより以前(第5代考昭天皇の即位時)から、天照大神と倭大国魂の2神を天皇の大殿の内に並び祀っていた。それなのに、その神の勢いを畏れて、共に住むのに安かではなかった。従って、天照大神に関しては豊鍬入姫命に託し倭の笠縫邑に祀り、磯堅城の神籬を立てた。また、日本大国魂神に関しては、渟名城入姫命に託して祀らせた。しかし、渟名城入姫は髮が落ち、痩せてきて祀ることができなくなった。

「日本書紀」に書かれた上記内容は非常に意味を読み取りにくく、疑問だらけです。考えてもみてください。天照大神が本当に皇祖神なら、崇神天皇が自分たちの祖神を外へ出すなどできるはずがありません。倭大国魂だけを外に出せば問題は全て解決するはずです。では、なぜ両神を外に出したのでしょう?

宮中を出た天照大神は豊鋤入姫命により笠縫邑にて奉斎されますが、その後日本各地を流浪し、最終的に伊勢の地に鎮座します。一方の倭大国魂は淳名城入姫命(ぬなきのいりびめのみこと)に託して祀らせようとするものの、髪が抜け落ち、体は痩せ祀ることができなくなります。「日本書紀」によれば倭大国魂は長尾市により祀られ、三輪山麓からさほど遠くない大和神社に鎮座しました。

上記の全体を見渡して考えると、天照大神は大和の域外へと出されてしまい、倭大国魂は大和の域内に留まったことになります。それはなぜか?崇神天皇の意図は天照大神を外へ出すため、倭大国魂を抱き合わせにしたとしか考えられません。そう、天皇の真の目的は天照大神だけを外に出すことだったのです。

このように考えると、天照大神(卑弥呼)は天皇家の皇祖神ではなかったと判明します。従って、女王国の卑弥呼と邪馬台国(大和国)に東遷した台与は大和王権とは関係ない存在だったことになります。では、抱き合わせされた倭大国魂とはどんな神様なのでしょう?

倭大国魂に関しては、神代第八段第六の一書に曰はくで、大国主命、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。…中略…亦は大国玉神と曰す。とあります。よって倭大国魂とは大国玉神=大物主神を意味していますし、それ以外に該当しそうな神様は存在しません。

これで役者は揃いました。崇神天皇、大物主神(ニギハヤヒ)を奉斎する物部氏、天照大神(卑弥呼)を奉斎する旧女王国グループです。この三者の関わり合いの中から、意味不明だった天照大神と倭大国魂を宮中から外に出す話の真相を解明していきたいと思います。

時計の針を崇神天皇の即位時点に戻して考えてみましょう。当初崇神天皇は三輪山西麓の南端に磯城瑞籬宮を開きました。この場所は東西南北の交通の要衝で、後に海石榴市も開かれており、初代天皇の宮殿としてはいかにも相応しそうに見えてしまいます。

けれども、祭政一致に近い当時の状況から判断すると、聖山である三輪山西麓の正面位置からは外れています。天皇は神祭りの最高位に位置するはずなのに、この点は解せません。なぜ崇神天皇は三輪山西麓の南端に宮殿を設置したのか?理由は明確ですね。三輪山はニギハヤヒの神霊が籠る聖山であり、その正面西麓は物部氏の祖であるニギハヤヒ祀る聖地だったからです。そんな場所にまだ力の弱かった崇神は宮殿を建てるなど考えらなかった。けれども、実力天皇の崇神は急速に力を増していきました。

一方纏向において協調していた物部氏と旧女王国グループの関係も変化していきます。両者が共に太陽を祭祀し、大物主神は男神アマテラスで、天照大神は女神アマテラスだったからです。同じ神格を持つ2柱の神様は並び立たず、角突き合せる状態へと変化していったのでしょう。崇神天皇にとっては、正しく其の神の勢いを畏りて、共に住むに安からずの状態となったのです。天皇は2柱の神が別々の場所で祀られれば問題は解決すると踏みました。(注:「日本書紀」では両神が宮中にて祀られていたことになりますが、実際には三輪山とその山麓で祀られていたはずです)

そこで崇神天皇は、両者に対し神祭りの場所を変えるよう強く依頼します。要請に応じた両者は、豊鋤入姫命が奉斎する天照大神は笠縫邑へ、倭大国魂神(実態は大物主神)は北の現在大和神社鎮座地の近く(当初の鎮座地は諸説あり)に移動したと考えられます。それでも、物部氏側に不満が残ったのか国は治まりません。

「日本書紀」7年条の春二月には、なぜ災いが続くのか理由を知るため、天皇は神浅茅原(かみあさじはら)に出でて占いにより問うと、神明倭迹迹日百襲姫命に神が憑依して、私を祀れば国は平穏になると告げます。神浅茅原とはどこなのでしょう?この場所は現在の茅原(ちはら、ちわら)と推定され、正しく三輪山の西正面に当たり、物部氏の祭祀場であったと考えられます。


茅原の位置を示すグーグル地図画像。

茅原には神浅茅原の名に相応しそうな神御前神社が鎮座しています。

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神御前神社です。背後の三輪山が印象的です。

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社殿です。

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解説板。内容を以下に記載します。

大神神社摂社 神御前(かみのおんまえ)神社
御祭神 倭迹迹日百襲姫命
御由緒 ご祭神は第七代考霊天皇の皇女で、大物主神の神託を受けられる巫女として、崇神天皇のまつりごとを助けられました。後に大物主神の妃となられ、三輪山神婚説話によるとこの神社の西方に位置する箸墓に鎮まるとされています。
また、鎮座地の茅原は崇神天皇が百官を率いて八百万神(やおろずのかみ)を祀った「神浅茅原(かむあさぢがはら)」の地とも言われ、三輪山を拝む好適地です。
…以下略。

解説板には神御前神社の西方に箸墓が位置するとありますが、正しくは北西になります。神御前神社の位置は三輪山のほぼ真西に当たり、正しく神の御前に鎮座しています。また、由緒内容からも三輪山西麓が神祭の聖地であると理解されます。

さて神浅茅原において、崇神天皇が神明倭迹迹日百襲姫命に憑依したのはいずれの神かと問うと、私は倭国の域(さかい)の内にいる神で、大物主神だと答えたので、神の言葉のままに大物主神を祀りました。天皇自身が物部氏の祖神を祀るのですから、この事実は重大です。それでもなお、効験はありません。

嘆く天皇の夢の中に大物主神が現れ、国が治まらないのは私の意向である。私の子の大田田根子に私を祀らせたら、たちどころに治まる、と言いました。全く厄介な神様ですが、これは天皇と雖も物部氏の意向を無視できなかった当時の情勢の反映だと思われます。(注:大田田根子を祀るのは大神神社摂社の大直禰子神社(若宮神社)で「その10」を参照ください)

天皇は大田田根子を探し出すよう天下に触れを出し、彼は茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえのむら)にいたと判明しました。「日本書紀」によれば、天皇は自ら神浅茅原に臨(いでま)して、大田田根子に誰の子かと言うと、父は大物主神と申すと答えます。さて、ここまでの最も重要な幾つかの場面に神浅茅原が出てきました。なぜこの場所が重要なのでしょう。それは神浅茅原(現在の茅原)が三輪山西麓の、山に対してほぼ真正面の位置にあるからです。

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茅原付近から見た三輪山。茅原集落の背後正面に三輪山が聳えています。

この茅原と言う物部氏が大物主神(ニギハヤヒ)を祀る聖地に、天皇が自ら赴いて大田田根子と対面したことは、天皇と物部氏の関係を如実に物語っていると考えられます。さらに、倭迹迹日百襲姫命の別名は「日本書紀」7年条の秋8月によれば、倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさじはらまくはしひめ)であり、「日本書紀」(白水社)の注に、神は聖域とした所の意。とあり、ここからも浅茅原が非常に神聖な場所であったと理解されます。また、別の注では、倭迹速神浅茅原目妙姫の名前に関して、神浅茅原で神語を得たことによる讃称とする。とあります。

以上から、三輪山山頂の西側正面に当たる聖地・浅茅原(現在の茅原)に、自分たちの祖神となる大物主神(ニギハヤヒ)を祀る物部氏、九州にあった女王国の女王卑弥呼の宗女となる邪馬台国(大和国)の女王台与、実質初代の崇神天皇の超重要な三者が集結し、やり取りを繰り広げていたことになります。(注:台与と崇神天皇の時代は異なりますが、神話的な話である点、崇神天皇の没年を干支一運(60年)繰り上げ258年にすると台与と同じ時代になる点を踏まえ、上記のように書いています)

       邪馬台国と大和王権の謎を解く その23に続く
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