岡崎市の神社仏閣探訪 その12


大樹寺を続けます。

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重文の多宝塔。

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もう一枚。

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解説板です。画像サイズを大きくしています。1535年の建立とのこと。

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鐘楼です。

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大樹寺の簡単な解説板。

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松平八代の墓。画像サイズを大きくしています。

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解説板。画像サイズを大きくしています。

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大樹寺の沿革。画像サイズを大きくしています。

ぎっしり書き込まれており読みにくいので、内容を簡単に整理してみます。

一般的に、大樹寺の開山は文明7年(1475年)で松平親忠の手によるものとされています。ただこれには前史があり、応仁元年(1467年)、井田野合戦での戦死者を鎮めるため親忠が勢誉愚底上人に依頼し千人塚を築きました。ところが、文明7年になって鎮めたはずの亡霊が騒ぎ出したのです。

これは大変と親忠は改めて勢誉愚底上人を招き、同年に大樹寺を開山。以降大樹寺は松平家の菩提寺として庇護され栄えます。永禄3年(1560年)には桶狭間の戦いで敗れた松平元康(徳川家康)が大樹寺まで退却。もはやこれまでと自害を決意するも、住職の登誉上人から「厭離穢土、欣求浄土」の教えを説かれ、思い止まりました。加えて織田軍から元康を守るため、剛力無双の僧兵・祖洞が貫木を振り回し、敵を蹴散らせます。家康にすれば、大樹寺さまさまです。

今の東京があるのも、よくよく考えれば、家康が自害を思い止まったことに始まっているとも言い得ます。生き延びて力をつけた家康は、その力を恐れる秀吉により関東に移封され、江戸城を築き、現在の東京が日本の首都として栄える礎となりました。小池都知事は真っ先に岡崎を訪問して大樹寺に感謝の言葉と多額の寄進をすべきだと思いますが、いかがなものでしょう?

それはともかくとして、徳川家康は元和元年(1615年)に松平8代の墓を再建。元和2年(1616年)、家康が死去すると生前の遺言により大樹寺に位牌が安置されることになりました。以降、歴代徳川将軍の等身大の位牌が大樹寺に収められることになります。実物は拝見しましたが、写真撮影はできないので、以下の大樹寺ホームページを参照ください。
http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/
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