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ワンダーアイランド江の島の謎を解く その1

ワンダーアイランド江の島の謎を解く
08 /21 2010

江の島と言えば誰でも知っている湘南随一の有名観光地で、休日ともなれば駐車場は満杯、参道は大混雑のありさまとなっています。けれども、混雑を避けて一歩奥へ踏み込むと、予想もしないディープな世界が広がっていました。今日から数回にわたり、そんなワンダーアイランド江の島の謎に迫ってみましょう。

酔石亭主の手元に藤沢市史資料 第三十六集(村岡・江の島地区資料集)という本があります。藤沢市の図書館から借り出したものですが、読んでみるとなかなかに面白く、最も興味を惹かれたのが江島縁起です。これを読めば、江の島の成り立ちがほぼ理解できるようになっています。と言うことで縁起の内容をご紹介しつつ、その意味を読み解いていきましょう。原文は漢文なので、紹介内容に誤りもあるかもしれませんがご容赦ください。

房州、武蔵、相模三カ国の境、鎌倉と海月の間に湖水があって、周囲40里、これを深沢と称した。湖水は滔々と水を湛え、四つの山影を逆さに映していた。

鎌倉の深沢は大船から藤沢方面へ流れる柏尾川流域のことです。藤沢の手前で境川と合流し、片瀬川となって相模湾に注ぎ、河口は江の島の北側に当たります。大船の地名からも察せられるように、この一帯は縄文時代の海進によって海水が流入、細長い入り江となっていました。


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深沢地区のグーグル地図画像。

江島縁起は古い言い伝えを室町時代に纏めたものとされます。一方真名本『江島縁起』によれば、天台僧の皇慶が永承2年(1047年)の手で、縁起が成立したとのことです。不思議でならないのは、言い伝えの時代(多分大和時代後期から平安時代辺り)、海は後退しているはずなのに、湖水と言う表現ではありますが、縄文当時の状況が書かれているように思えることです。ただ、古代の深沢は川に沿った低湿地帯だったと思われ、それを湖水と表現した可能性も残ります。

この湖には五頭一身の竜が棲みついて、洪水や山崩れを起こし、疫病を流行させ、東国に火の雨を降らせ里人を苦しめていた。(別資料では火雨ではなく、大雨)

竜の記述は、スサノオの八岐大蛇と全く同じだと思われます。川であれば豪雨によって洪水となり、また山崩れも起きるでしょう。火の雨は富士山の噴火を反映しています。(多分、紀元800年以降断続して起こった噴火が反映されている)縁起の内容は、これら自然災害を竜の仕業として記載したものと見て間違いありません。

竜は津村水門に初めて現れ、里人の子供を喰い、これを畏れた村人は自分の住み家を捨て他所に越していった。ゆえに世の人はこの場所を子死越と言った。竜の害は八箇国に及び、人々は相談して生贄を供えたため巷に泣く声が絶えなかった。

自然災害や疫病が多発すれば、まず弱い子供から犠牲になります。その状況が深刻で人々は深沢の地を離れ引っ越したということでしょう。子死越(こしごえ)が腰越の地名由来になったとのことですが、とすると村人は、現在の鎖大師から腰越に通じる道路に沿ったルートで腰越に入ったのでしょうか?しかし、腰越への移動は川を下るのが一番簡単なはずで、この記述はやや不自然な感じがしないでもありません。

そこでもう少し津村について調べてみると、深沢郷に津村があり、川名も津村で、龍口寺一帯から腰越も津村で、津村の範囲は非常に広いようです。津は船の泊るところを意味しますから、そこから判断すると、1500年ほど前の古代においても、柏尾川の大船近くまで入り江状態だったのかもしれません。

また縁起には、竜は湖水の南面の津村水門に初めて現れ子供を喰ったと書かれています。水門とは現在でいう水を堰き止める門ではなく、みなとであり湊の意だと思われます。よって津村水門とは、片瀬川が海にそそぐ辺りの、船の泊る村を意味しているのでしょう。
結論的には、津村水門周辺(片瀬川河口付近)の村人が、子供を竜に喰われるから越していった。よって子死越(腰越)という地名ができた、ということになります。

欽明天皇の13年(552年)、日夜大地が振動して、雲上に天女が顕現した。雲が去り霞が散ると、海上の波間に島が現れた。

江の島が隆起したのは今からおよそ7~8万年前とされています。江島縁起で一番驚かされたのがこの部分です。日本列島に人類の痕跡が見られるのは8~9万年前とされます。江の島が隆起した時点は、ようやく列島に人類が定着し始めた旧石器時代頃のこと。遠い過去の記憶が文字によらず後代に伝えられたとしたら、本当に凄いことですね。

五頭竜は天女の麗しい姿を見て情を交わしたいと思い、島に渡った。天女は人の命を害するおまえは私にはそぐわないと言って、竜の希望を断った。五頭竜は今後害を与えることはせず、殺生もしないと誓い、宿念をかなえさせてほしいと哀願した。天女は頷き、竜は天女の教えに随順し誠を発して南成山に向き誓った。世の人はこれを竜口山と名付けた。

江の島と向かい合うようにして竜口山の麓に龍口寺があります。つまり、江の島と竜口山は対になっている訳です。竜口山の由来は縁起ではおおよそ上記ですが、藤沢市のホームページによると以下のようになっています。

時がたつにつれ竜の体はだんだんと衰えていった。自分の寿命の尽きるのを 知った五頭竜は、天女に「死んでも私は山となって島と里人を守ります。」と告げ対岸に渡り江の島の方に向かって長々と横たわり一つの山なった。 これが現在の片瀬山で、竜の口のある場所が、現在の竜の口(たつのくち)で あるという。里人はこの山を竜口山と呼び、五頭竜を祭った社(やしろ)を建てた。これが龍口寺の西隣にある龍口明神で、五頭竜の木彫りのご神体がおさめられ、今でも60年に一度の「巳年式年祭」の日には、おみこしに乗せて江の島へ渡り、天女の弁財天とあわせている。

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旧龍口明神社です。

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解説板。

龍口寺の隣にありますが、現在は廃社となり湘南モノレール西鎌倉駅近くに移転されました。竜口山山頂(龍口寺の仏舎利塔がある場所)から江の島を見ると、ほとんどビルに遮られています。

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仏舎利塔から江の島を望む。

五頭竜はそれが悲しくて、竜口山から立ち去ったようにも思えてきます。新江島縁起を以下のように書いたらいかがでしょう?

それから長い年月が過ぎた。村は大地震に襲われたが、竜は被害を止めることができなかった。戦争に負けた日本に、遠い国から空飛ぶ物体や火を吹く船がやってきて、島の周りは騒がしくなった。村が平和になると、多くの女たちが裸に近い姿で海に入った。五頭竜は女たちの姿に心を奪われ、天女への愛も一時薄れかけた。天女は怒りを発し、竜は二度と他の女に目を向けませんと誓った。五頭竜は天女に再び愛を向けた。
しかしその愛も断たれる時が来た。山と江の島との間に無数の建物が立ち並び、相互の視界を遮った。また、婚約した男女が数多く江の島を訪れ、そのたびに天女は嫉妬心を発して二人の仲を裂こうした。(実際、藤沢周辺では婚約してから弁財天を見に行くなとされています)千五百年の愛ももはやこれまでと悲嘆にくれた五頭竜は、竜口山から立ち去ることを決意、西鎌倉に遷座したんだとさ。おしまい。

龍口明神社については以下Wikipediaを参照します。

玉依姫命は神武天皇の母、海神族の祖先で、龍神として崇められたと伝えられる。もう一つの祭神である五頭龍大明神は、江の島の弁財天に悪業を戒められた龍であると伝えられ、江の島弁財天とは深い関係にある。
この龍が改心し岩山と化した後、津村 (腰越および隣接の現鎌倉市津一帯) の村人達が、龍の口にあたる岩上 (龍口) に社を築いて白髭明神と称し、村の鎮守としたことが、龍口明神社の発祥とも伝えられている。


竜に玉はつきものなので、玉依姫なのでしょう。白髭明神とは秦氏の雰囲気も漂ってきます。
龍口明神社の遷移は実際には以下の事情によります。これもWikipediaより。

もともとは龍口(たつのくち)の龍口寺西隣に建っていたが、安政2年(1773年)に龍口が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われた。鎌倉時代には刑場として使用された時期もあり、氏子達は祟りを恐れ、長年移転を拒んでいたという。
大正12年 (1923年)、関東大震災により全壊、昭和8年 (1933年)に龍口の在のままで改築したが、 昭和53年(1978年)に、氏子百余名の要望により、江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転した。
なお移転後の現在も、旧境内は鎌倉市津1番地として飛び地のまま残っており、拝殿・鳥居なども、移転前の姿で残されている。


龍口明神社の移転にも、色々ややこしい事情があったのですね。

以上、江島縁起は遠い昔の言い伝えに過ぎません。しかしその内容を見ると、過去に実際起きたことがかなり反映されています。良い例がシュメールの洪水を反映したノアの方舟です。たとえ言い伝えや神話であっても、過去を知る手がかりになり、その意味では江島縁起も貴重な歴史資料と言えるでしょう。

注:竜と龍の表記を混在させていますが、縁起では竜と書かれており、基本的には竜と表記しています。ただ、お寺や神社は龍となっていますので、そのまま龍の表記を用いました。また引用部分はそのままです。江の島についても、縁起は江島(江嶋)と表記され、他に江の島、江ノ島とあり適宜使い分けていきます。

なお、本記事は藤沢市の江の島についてですが、内容は江の島が鎌倉郡に含まれる時代を扱っており、「鎌倉の謎を解く」のカテゴリーに入れることとします。

         ―ワンダーアイランド江の島の謎を解く その2に続く―
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酔石亭主

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