岡崎市の神社仏閣探訪 その20


今回は上地八幡宮(うえじはちまんぐう)に行ってみます。鎮座地は岡崎市上地町字宮脇48番地。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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鳥居と境内。

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解説板。

建久元年(1190年)に源範頼(みなもとののりより)が創建したとあります。詳しい内容が書かれていないので少しチェックする必要があります。上地八幡宮とは直接関係ありませんが、この一帯は若き日の徳川家康が危機に直面した場所でもあります。その危機とは三河一向一揆で、これは三方ヶ原の戦い、伊賀越えと共に徳川家康の三大危機の一つに数えられているのです。何しろ強固な団結をもって鳴る三河家臣団の約半数(何と本多正信まで含まれる)が、門徒方に味方したのですから、家康にとっては恐怖以外の何物でもなかったと思われます。特に取り上げてはいませんが、一帯が三河一向一揆に関連する地であるため、周囲には蓮如上人ゆかりの寺が幾つかありました。

さて、上地八幡宮の創建には前史があり、元暦元年(1184年)、源頼朝の異母弟の源範頼が平家討伐に向かう途中、この地の小祠に祀られていた八幡神に戦勝の祈願をしたとのこと。平家との戦いに勝ち、三河の守護に任じられたのを機に、1190年に社殿を造営し同社の創建となりました。源範頼は源義朝の六男で、源頼朝の異母弟、源義経の異母兄に当たり、頼朝と同様に熱田神宮の大宮司である藤原季範(ふじわらのすえのり)に養育されています。また、藤原季範の娘の由良御前は源義朝と結婚し頼朝を生んでいます。色々なところで繋がりがあると理解されますね。

既に見てきた滝山寺に関しても、同寺の住職・寛伝(1142年~1205年)が藤原季範の孫に当たり、源頼朝の従兄弟となります。このため滝山寺は鎌倉幕府の庇護を受けることができました。瀧山寺が所蔵する木造観音菩薩立像と梵天・帝釈天立像は、頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201年)、寛伝が頼朝追善のため仏師運慶・湛慶父子に作らせたものとされています。

以前、「熱田神宮の謎を解く その34」にて尾張と遠賀川流域の神社名・祭神、地名が酷似している謎を取り上げています。まだこの謎は解けていないのですが、実は源範頼が一役買っているのではないかと思っています。範頼は平家討伐のため九州にまで赴きました。その彼の動きが部分的にせよ影響を及ぼしている可能性があるのです。これは非常に興味深い問題なので、いつになるかはわかりませんが是非取り上げてみたいと思っています。そうした意味においても、源範頼が創建した上地八幡宮は、見過ごすことのできない重要な意味を持つ神社となるのでます。

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境内です。

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横長の拝殿。

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拝殿内部。拝殿を通して重文の本殿が少し見えています。

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本殿です。

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もう一枚。歴史を感じさせる建物です。

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石が祀られています。

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解説板。うなり石と言う霊石とのこと。
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