邪馬台国と大和王権の謎を探る その30


崇神天皇陵の西側には黒塚古墳があります。位置関係は「その28」の地図画像を参照ください。所在地は天理市柳本町となります。

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黒塚古墳近くの古いお宅。長く伸びた塀が素晴らしい。

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黒塚古墳。

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周濠越しに見た古墳。

古墳の全長は130mで、今までに大型古墳ばかり見てきた目には小さく映ります。けれども、北九州最大の古墳で継体天皇と対峙した筑紫磐井君の墓とされている岩戸山古墳が135mとなり、これとほぼ同じ墳丘長を持つのですから、決して小さな古墳ではないと理解されます。特筆すべきは、石室の規模が全国第4位の巨大さであることです。この規模であれば、多分大王に次ぐ地位を持つ人物か大王の兄弟の墓になるのでしょう。

築造時期もまた非常に古く、3世紀末~4世紀前半と推定されており、崇神天皇との関係も推定されそうです。古墳からは三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面、他に刀剣、鉄鏃、槍などが出土し、被葬者が重要人物であったことを示しています。「魏志倭人伝」には、卑弥呼が魏に使者を派遣したとき銅鏡100枚を下賜されたことが書かれており、築造時期と考え合わせ、これぞ卑弥呼の鏡と喧伝されたようです。そうであれば面白いのですが、今までの検討からこの見方が間違いであるのは明らかです。

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解説板。 画像サイズを大きくしています。

古墳の脇に黒塚古墳展示館があるので行ってみました。

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解説。

卑弥呼の里とあります。今までの検討から卑弥呼の女王国は九州以外にあり得ず、間違った書き方となっています。

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出土の鏡。

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同じく出土の鏡。

右下の鏡が33号と書かれているので、出土した全33面の三角縁神獣鏡の最後のものとなります。ここには色々な資料が展示されており参考になります。

ここまで大和における古墳時代前期の古墳を幾つか見てきました。古墳自体は外形しか見ることができないので、何らかのヒントを掴むのは難しかったようです。けれども、気になる点も出てきました。例えば、崇神天皇陵と景行天皇陵に関していずれも墳丘長200m以上の巨大前方後円墳です。実際の被葬者が誰であるのかはさて置いて、4世紀の大和においてこれだけ巨大な墓を築造できるのは大王以外にありません。なのに、彼らの宮殿跡は何もないのに等しい状態となっています。巨大古墳と何もないような宮殿跡の落差はどう説明すればいいのでしょう?酔石亭主には答えられないので、専門家の意見を聞きたいと思います。

次に桜井市から天理市における古墳時代前期、具体的には200年代半ばから350年頃までの古墳で、全長130m以上のものを古い順に列記してみます。数値はWikipediaに書かれているものから引用しました。

箸墓古墳      278m 3世紀中頃(酔石亭主は3世紀後半と考える)
中山大塚古墳   130m 古墳時代前期初(箸墓と同時期か少し前)
波多子塚古墳   140m 3世紀後半 (天理市ホームページより)
西殿塚古墳     234m 3世紀後半から4世紀初め
黒塚古墳      130m 3世紀末から4世紀前半
東殿塚古墳     139m 4世紀初め
桜井茶臼山古墳  207m 4世紀初頭
メスリ山古墳    224m 4世紀初頭
行燈山古墳     242m 4世紀前半
櫛山古墳      155m 4世紀前半
渋谷向山古墳   310m 4世紀後半

ざっと調べただけなので、上記で全て網羅されているか何とも言えません。渋谷向山古墳は古墳時代前期後半になりますが、訪問した先なので一応記載しました。上記の中で大王墓級と考えられるのは、200m以上の古墳となりそうです。築造順に並べると以下の通り。
箸墓古墳→西殿塚古墳→桜井茶臼山古墳→メスリ山古墳→行燈山古墳→渋谷向山古墳

既に書いたように、渋谷向山古墳の方が行燈山古墳より古いとの見方もあります。また上記の年代は相対年代に過ぎず、実年代と一致するかどうかは何とも言えません。けれども、何らかの物差しがないと話が進まないので、上記数字を元にして、但し箸墓に関しては280年頃完工の前提で考えてみます。

ここで気になるのは、箸墓古墳の築造が270年頃始まり、崇神天皇の行燈山古墳の完工が325年頃と仮定すれば、およそ50年余りの期間内に(と言うかほぼ同時期に)5基の大王墓級大型古墳の築造があったことになります。箸墓古墳で築造期間10年と推定されていることから、その他の古墳は丘陵を利用して盛土量を少なく抑えたとしても、6、7年程度はかかりそうです。

これに130m級やそれ以下の古墳の築造も加えれば、50年余りのほぼ全期間、常に古墳の築造があり、一体どれだけの人力が投入されたのか、想像を超えるものがあります。もちろん畿内だけからの調達では足りず、日本各地から人が集められたはずです。集められた人たちに食事と住居を提供するだけでも、恐ろしいほどの費用が掛かると思われ、それに見合うだけの財力と政治権力が必要となります。

箸墓の被葬者は台与と推定しているので、それ以外の大王墓級の被葬者は誰かと言う問題がここで浮上してきます。西殿塚古墳は墳丘長が234mの大王墓級の大型前方後円墳で天理市中山町にあり、築造時期は3世紀後半から4世紀初めと推定されています。宮内庁は衾田陵(ふすまだのみささぎ)として第26代継体天皇皇后の手白香皇女の陵に治定していますが、彼女は6世紀前半の人物で時代が全く合わず間違ったものとなっています。


西殿塚古墳の位置を示すグーグル画像。

西殿塚古墳は訪問しておらず、詳細は以下のWikipedia記事を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AE%BF%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3

次に茶臼山古墳とメスリ山古墳を見ていきます。両古墳の形状が柄鏡型で段築造も同じであることから、例えば兄弟の墓と言った想定が可能になります。


茶臼山古墳の位置を示すグーグル画像。


メスリ山古墳の位置を示すグーグル画像。

メスリ山古墳は以下のホームページ参照ください。非常に詳しく書かれています。
http://inoues.net/club4/jinmu_hutatabi_mesuri.html

桜井茶臼山古墳は以下のWikipedia記事を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

大和王権は女王国グループの後継ではないとの前提で、箸墓古墳以後の古墳築造順序から何が見えてくるでしょうか?まず箸墓古墳の被葬者を台与と設定します。これに続く大型古墳が西殿塚古墳になります。

ここでもう一度「魏志倭人伝」を参照します。「南に邪馬壹国の女王の都に至るには、水行十日、陸行一ト月。官有伊支馬(いきま)次曰彌馬升(みまし、みまと)次曰彌馬獲支(みまかき)次曰奴佳鞮(なかで、ぬかて)」の部分です。酔石亭主の理解によると、九州の東に位置する大和国の女王・台与の都に至るには、(吉備と推定される投馬国から)水行十日、陸行一ト月(一日)かかり、大和国には官(最高位の執政官)がいるとなります。

続く文面の各人物に上記の大王墓を充ててみましょう。西殿塚古墳を伊支馬、メスリ山古墳を彌馬升、桜井茶臼山古墳が奴佳鞮で、彌馬獲支は既に書いたように崇神天皇とすればピッタリ一致します。上記の4人は290年時点において全員が大王としての資格を持っており、ほぼ持ち回り的に大王(実態は最高位の執政官)の役割を果たしていたとも考えられます。

各古墳の築造時期を見てもほとんど同時期に近い状態となっており、最も初期段階の大和王権は連合体的な政権であったと確認されます。そうした前提では、4基の大王墓の築造を300年から325年の間に設定することが可能となり、各墓の必要築造年が6年強で25年間休むことなく築造が継続したことになります。この必要築造年はほぼ妥当な数字ではないでしょうか?

大王墓級の4基以外にも多くの古墳が古墳時代前期に築造されているのですから、建設作業に駆り出された一般人民の労苦は、言葉にできないほど大変なものだったはずです。農業に従事する時間などなかったようにも思えてきます。多分農作業は女性や子供、老人の仕事だったのでしょう。ともあれ、一応これで各大王墓の築造と「魏志倭人伝」に書かれた4人の官に関して、何とか整合させられる状態となりました。

ちなみに、神武天皇や崇神天皇などの名前は、淡海三船(おうみのみふね、722年~785年)が神武天皇から元正天皇までのほぼ全ての天皇の漢風諡号を一括撰進したものとされており、実名ではありません。古代天皇の諡号には漢籍から取り入れたと推定される名前があり、実名は「魏志倭人伝」に記載されたようなものだったと思われます。但しこれらも、倭人が自分たちの執政官の名前を音で呼び、それを聞き取った中国側が漢字表記したものに過ぎないため、実態はなお霧の中と言えるでしょう。

次回は天理駅周辺に場所を移しますが、また少し中断して別の記事を書いていく予定です。

        邪馬台国と大和王権の謎を探る その31に続く

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