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ワンダーアイランド江の島の謎を解く その5

ワンダーアイランド江の島の謎を解く
08 /25 2010

今日は江の島と対になっている龍口寺の謎を見ていきます。

まず、龍口寺境内に鎮座する稲荷社の写真です。

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稲荷社。

小さな社の石段に石板が置かれ、玉子を置くな、と書かれています。石段と石板は同じ材質であることから、いたずら書きではなさそうです。だとすれば、お寺の方あるいは社を信仰される方が、明確な意図を持って置いたと推測されます。では、どのような意図でこの注意書きが置かれたのでしょう?意味がわかる人は手を挙げてください。

多分、ほとんどの方はわからないのでは、と思います。酔石亭主も同様ですが、意味不明な事柄は何としてもその意味を解き明かしたいのが人情というもの。ということで、いつものようにあれこれ調べた上で考えを纏めてみました。以下簡単にご説明してみましょう。

蛇は玉子を丸のみします。そのため、蛇神を祀る社では願い事を丸のみしてくれるという俗信から、生卵をお供えする例がしばしば見られます。例えば三輪山に鎮座する大神神社の大物主は蛇神ですから、生卵が供えられます。

龍口寺は竜伝説が濃厚に残り、龍口明神を祀る旧社も寺の隣にあります。蛇も竜も同じ眷族ですから、お寺の稲荷社に竜が祀られていると勘違いした人が、過去に玉子をお供えしたのでしょう。稲荷社に油揚げならともかく、玉子ではまるで見当違いになってしまうので、このような注意書きが置かれたものと推察されます。

謎が解けてすっきりしましたか?でも、こうした俗信の奥底にはもっと深い意味があるはずです。上記の解釈だけでよしとする訳にはいきません。では、この話の深源はどこにあるのでしょう?以下はあくまで酔石亭主の独断と言うことでお読みください。

韓国には脱解王(新羅の四代目の王)に関する伝承があって、内容は概ね以下の通りです。

倭国(日本)の東北一千里にある多婆那国(またの名を竜城国という)の王妃が妊娠して大きな卵を生んだ。王は卵を捨てろと命じたが、王妃は卵を箱に入れて海に流した。やがて箱は辰韓に流れ着き中から一人の男の子が出てきた。箱を開き、殻を割って出てきたことから男の子は「脱解」と名付けられた。男の子は、「私は龍城国の王子で、龍城国はここから遙かに遠い日本の北東一千里にあります」と言った。彼は後に新羅4代目の王となった。
男の子は住むに良い場所を探していた。ある峰に瓠公の家があり、彼は赫居世の時代から王に仕える重臣だった。彼は瓢箪に乗って日本から海を渡ってきたので瓠公と呼ばれていた。脱解王はうまく瓠公をだましその家を乗っ取った。

多婆那国は丹波国と考えられ、丹波は浦島伝説発祥の地でもあります。よって丹波の竜城つまり竜宮城から箱(うつぼ舟と同じ)に入った卵(瓢箪と同じ)が流されて、新羅の地に漂着、中から出てきた男の子が新羅の脱解王になったと解されます。基本的は瓢箪が絡む死と再生のストーリーと同様ですが、問題は王が竜の血脈を引いていることです。

浦島伝説の鍵となるのはご存知のように玉手箱です。玉の入った手箱とは、まさしく脱解王が流された箱に等しいのではないでしょうか。

元伊勢の一つで豊受大神が伊勢に遷座した丹後の籠神社には、この地から一人の日本人が新羅に渡って王様になった、との伝承があります。そこで、籠神社という文字に注目ください。竹冠に龍となっています。丹波が竜の地であると理解できますね。

以上、竜伝説には卵(あるいは玉)が結びついていました。ですから江の島の岩屋内の竜も玉を掴んでおり、竜に玉は付きものとなっているのです。現代でもその意識は残っており、アニメのドラゴンボールが良い例になります。

従って、竜を祀る龍口明神社には、過去に卵が供えられたのでしょう。一方で、龍口寺全体が竜伝説の地であるため、寺の境内にある稲荷社にも卵が供えられ、それは困るということで、玉子を置かないこと、との注意書きが用意されたと推定されます。注意書き一つにも、日本と朝鮮半島を結ぶ奥の深い歴史が隠されていたのです。

ところで、山梨県の竜王町には玉幡という地名が見られます。玉幡は、明治になって西八幡と玉川での2村で豊明村ができ、後に玉幡村となったものですが、竜と玉、豊と幡があり秦氏との関係も想定できます。そもそも山梨県の巨摩郡(こまぐん)は高麗に由来しており、高句麗からの帰化人が多数居住していました。竜王町の竜王は、有富山慈照寺に湧く竜王水に由来するとの説もありますが、滋賀県の竜王町は竜伝説に由来していると思われ、山梨もその深源は竜族にあると推測します。

もう一つ不明な点が龍口寺にはあります。この地はかつて刑場だったため刑場跡の碑が建てられています。日蓮も危うくここで処刑されそうになりました。

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刑場跡の写真。

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刑場跡の解説板。

刑場跡自体に謎があるのではありません。下の写真にある御影石の石柱に注目してください。

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石柱。

『橘 結社』という文字が彫られています。これは一体何なのでしょう?結社などというからには、怪しい秘密組織なのでしょうか?あるいは、ゆい社と読ませているのでしょうか?調べてみると、横浜にあった組織のようで、龍口寺五重塔の第二層を寄進したのが橘結社でした。それ以外のことは何一つわかりません。なお、五重塔の竣工は明治43年(1910年)で今からちょうど100年前のこととなります。

そこでまず橘について調べてみます。

『日本書紀』によれば、垂仁天皇の御世、田道間守(たじまもり)が常世国(=豊の国=不老不死の国)に遣わされ、不老不死の果実である橘を持ち帰りました。橘にはまた、常世神という虫を生ずる樹木だとの伝承もあります。

富士川のほとりにおいて大生部多(おおふべのおお)が、この虫(芋虫)は常世の神であり、祭れば富と長寿を約束されるとして虫を祀ったそうです。秦川勝は民を惑わすとして、大生部多を成敗しました。また田道間守は『古事記』によれば天日槍の後裔となります。天日槍は新羅の王子で脱解王の子孫と考えられます。

天日槍は阿加流比売を追って新羅から渡来したのですが、阿加流比売にも卵生神話が見られます。酔石亭主が三神山と比定した香春岳には香春神社があり、ここに祀られている姫神は阿加流比売とも言われています。香春神社の神官は秦氏系の赤染氏ですが、彼らは常世連(とこよむらじ)の姓を賜っています。さらに橘氏の氏神を祀る梅宮大社の祝は月読祝で秦氏が担っています。

橘には様々な要素が混入しており整理できそうにありません。一応橘は秦氏の関与が濃いと見て、結が由井であれば、橘結社は秦氏と由井の民の合同組織のようにも見えますが、いかがなものでしょう?まあ、その可能性は0.001%程度でしょうか。

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日蓮の霊窟。法難の折に日蓮が入れられた土牢です。元々はやぐらだったのでしょう。

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もう一つ窟が。

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墓石を建てるため浅く削った崖に木の根が這い、5頭竜のようにも見えます。

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五重塔です。

江の島関連はこれでおしまい。
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酔石亭主

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