近江探訪 その28


先日女房殿と近江八幡市に行ってきました。奥様同伴の場合、自分の都合だけで動き回れないので、歴史探索はほとんどありません。それでも、見所は多々あって十分楽しむことができました。

と言うことで、近江八幡市関連の記事をアップしたいと思いますが、その前に少し話をそらせます。最近の調査で、名古屋市は最も魅力のない都市第一位と言う不名誉な称号をいただいたようです。これは大変と、名古屋市のみならず、各テレビ局も名古屋めしのPRや名古屋の魅力を伝え発掘するのに躍起になっています。しかし、どう努力しあがいたとしても、名古屋市と比較の対象となった各大都市のみならず、名古屋市よりずっと規模の小さい近江の近江八幡市や彦根市、長浜市などにも魅力の面では勝てそうにないと思われます。

その事実は謙虚かつ冷静に受け止める必要はありますが、ことさら落ち込む必要はありません。よくよく考えてみてください。例えば、近江八幡市の基礎は豊臣秀次が築いています。彼は尾張知多郡大高村の出身であり、近江八幡市が今あるのは尾張のおかげとも言い得ます。

同様の流れから考えると、鎌倉幕府を開き観光都市鎌倉の元を築いた源頼朝は尾張国の熱田神宮西側にあった神宮大宮司・藤原季範の別邸(現誓願寺)にて生まれています。戦国時代まで東国の片田舎に過ぎなかった東京が大発展したのは、尾張国愛知郡中村郷で生誕した豊臣秀吉の思惑により、三河国岡崎出身の徳川家康が江戸に移されたからでした。大坂の発展もまた、大阪城を築き、城下町を整備し商業都市の基礎を築いた豊臣秀吉のお蔭と言って過言ではないでしょう。

静岡市の発展も徳川家康が駿府城を築城したお蔭でしょうし、金沢市の発展も尾張国海東郡荒子村出身の前田利家が加賀藩百万石の礎を築いたことによります。岐阜市は尾張出身の織田信長により城下町として栄え、江戸時代には尾張藩領ともなっています。熊本市は尾張国愛知郡中村出身の加藤清正により、城下町として発展しました。姫路市も城下町として整備されたのは尾張国清洲出身の池田輝政の手によるもので、国宝の姫路城も大規模改修により現在の形としたのは池田輝政です。

ノーベル賞受賞者数も愛知県が4人と断トツのトップです。平成26年の愛知県の製造品出荷額等は43兆8,313億円で38年連続日本一となっています。(注:交通事故死亡者数連続日本一と言う不名誉な記録もありますが、これは日本一となっている自動車の保有台数と関係し、1万台あたりの交通事故死者数で見ると37位に後退します)

このように、人材も含め日本全体を支えているのが愛知県(尾張と三河)だとの誇りを持っていれば、名古屋市の魅力がないとかいった類の話に一喜一憂する必要は全くなくなるはずで、愛知の貢献がいかに大きいかを説明して堂々としていればいいのです。ちなみに今回訪問した滋賀県は、テレビなどで見ていると関西の他県から低く言われがちですが、白洲正子氏や司馬遼太郎氏が絶賛されているように、その風土は豊かで実に魅力的。観光客でごった返す京都よりいいのではとさえ思えてきます。

話がそれまくったので元に戻します。近江に関しては記事カテゴリーを立てていますので、その続きの形でアップしていきます。


近江八幡市の位置を示すグーグル画像。

近江八幡市は豊臣秀次により、その基礎が築かれました。彼は秀吉の指示で蒲生郡の現在地に八幡山城を築き、信長亡き後の安土の商人たちを呼び寄せ計画的な町割りを造り、城を防御するための八幡堀を琵琶湖に通じさせ、航行する船を城下内に寄港させました。これにより、人や、物産品、情報が集積し、さらに楽市楽座制まで実施して町の発展に努めたのです。江戸時代には商業が発展し近江商人(八幡商人)の発祥の地となりました。では、それ以前はどうだったのでしょう?

鎌倉時代以降、東近江で活躍したのは宇多天皇の子孫と自称する佐々木氏で、佐々木姓発祥の地となる近江八幡市安土町常楽寺には沙沙貴神社(ささきじんじゃ)が鎮座しています。沙沙貴神社は、古代に沙沙貴山君(ささきやまぎみ)が大彦命を祀ったとされ、沙沙貴山君は孝元天皇の皇子である大毘古神を始祖とする阿倍臣一族とされています。ただ、古代の沙沙貴山君と近江守護の佐々木氏が繋がるかどうかは明らかではありません。

また、近江八幡市の地名の元となった八幡山山麓に鎮座する日牟禮八幡宮は和珥氏(わにうじ)系の櫟井(いちい)氏が関係しており、近江八幡市の琵琶湖を挟んだ西側の大津市北東部には和爾村があり、現在でも湖西線の和爾駅があります。「類聚国史」には弘仁4年(813年)に和邇村の記事が出ています。和珥氏は大和国添上郡和邇(現在の奈良県天理市和爾町)付近に本拠があり、そのすぐ近くには櫟本(いちのもと)の地名があります。このように、近江八幡市は古代から長い歴史を紡いできた場所であり、それが土地の魅力となっているのです。

と言うことで、早速近江八幡駅前でチャリンコを借り出し街中を走ってみましょう。まずはうだつの町並みが残る新町通りへと向かいます。


新町通り一帯の位置を示すグーグル地図画像。

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こうした商家が幾つもあります。酔石亭主にとっては実においしい。

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解説板。

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新町通りです。うだつも見えています。

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Wikiよりお借りした古地図。

町割りが現在とほぼ同じと理解されます。手前が八幡山城のあった八幡山で背後の山が長命寺のある長命寺山となります。伝説ですが八幡山山麓に鎮座する日牟禮八幡宮の始まりは、同社の社伝によると、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に、武内宿禰に命じ、現在のこの地に大嶋大神(地主神)を祀られたのが、社の鎮座の始めとのことです。武内宿禰云々は別としても、古代には多分八幡山や長命寺山は島の状態であったと理解され、例えば八幡山を大きな島として崇拝の対象にしたことから、大嶋大神(地主神)を祀った話になったのでしょう。


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