近江探訪 その63


ここまで安土周辺で幾つかの神社を見てきましたが、今回訪問するのはその中でも最も重要と思われる沙沙貴神社(ささきじんじゃ)で、鎮座地は滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1番となります。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

画像を拡大すれば、楼門に回廊、拝殿、本殿、本殿左隣の権殿があり、周囲は深い森で囲まれているとわかります。

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沙沙貴神社入口の社号標。

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鳥居です。

扁額には佐佐木大明神とあります。これは同社にて祀られる神様の総称で、個々の祭神は、祖神で産土神の少彦名命、古代における豪族の沙沙貴山君の祖神である大彦命(大毘古神)、宇多源氏、佐々木源氏、近江源氏などの祖神となる宇多天皇及び敦実親王です。なお、大彦命は以前に書いた丹波道主命同様四道将軍の一人で、北陸方面に派遣されています。

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楼門です。

江戸時代中期の延享4年(1747年)に建築され平安時代の様式を持つ葭葺の二層門となります。屋根部分が大きく地震が来たら倒壊するのではと心配になりますが大丈夫なのでしょうか?

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楼門と回廊。

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拝殿。

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拝殿の一部と中門、本殿、左手の権殿。

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本殿。

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中門透塀。

この神社は、古代豪族の沙沙貴山君(ささきやまぎみ)が祖神の大彦命を祀ったことが実質的な始まりと思われます。沙沙貴山君に関しては以下Wikipediaより引用します。

孝元天皇の皇子である大毘古神を始祖とする阿倍臣一族とされる。平安時代まで蒲生・神崎両郡の大領として近江国(現在の滋賀県)に勢力を持っていた。
日本書紀の顕宗天皇の条に、「狭々城山君韓袋宿裲」(ささきやまぎみからふくろのすくね)が雄略天皇による押磐皇子謀殺に荷担した罪で捕らえられだが、顕宗天皇は許しを請う韓袋宿裲を殺すに忍びなく、これを死刑とする代わりに身分を落とし陵戸とし、全ての官籍と狭々城山君の姓を剥奪の上で山部連の下に置いた。


上記のように平安時代までは沙沙貴山君の系統が大きな勢力を持っていたことになりますが、平安時代中期に転換点を迎えます。すなわち宇多源氏(佐々木源氏)の一族がこの地に入り込み、佐々木の姓を名乗って、支配者となっていったのです。具体的には同社祭神である宇多天皇の皇子・敦実親王を曾祖父とする源成頼が近江国に来て佐々木庄に居住し、佐々木氏の祖となりました。

このように、安土は全国の佐々木姓の始まりの場所となっているのです。さらに佐々木氏から、六角家、京極家、朽木家、三井家など多数の末裔が派生しています。乃木希典も末裔の一人だとか。なお、佐々木氏に関して、古代豪族・沙沙貴山君の一族は源平争乱後、衰退して宇多源氏佐々木氏に吸収された説、古代豪族・沙沙貴山君=佐々木氏の説。佐々木氏には宇多源氏系の佐々木氏と沙沙貴山君系の佐々木氏の2つの系列が存在するという説、などがあるようです。諸説あるものの、他の古代豪族同様沙沙貴山君が平安時代に衰退し、この地に入った佐々木氏に取って代わられたと見るのが妥当なように思えます。


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