邪馬台国と大和王権の謎を解く その36


今回は石上神宮の重要な宝物である七支刀に関して見ていきます。この異形な刀に関する詳細は石上神宮ホームページを参照ください。
http://www.isonokami.jp/about/c4_2.html

刀の表面には以下の記載があります。
□四年(□□)月十六日丙午正陽造百練釦七支刀□辟百兵供供侯王□□□□作

泰和四年での判読は以下Wikipediaより引用します。

太和(泰和)四年五月十六日丙午の日の正陽の時刻に百たび練った□の七支刀を造った。この刀は出でては百兵を避けることが出来る。まことに恭恭たる侯王が佩びるに宜しい。永年にわたり大吉祥であれ。

上記のように年代は泰和四年と読めるので、今までの検討から西晋の泰始4年(268年)ではなく、369年の話になります。裏面には以下の記載があります。
先世以来未有此刀百済□世□奇生聖音故爲倭王旨造□□□世

この判読もWikipediaより引用します。

先世以来、未だこのような(形の、また、それ故にも百兵を避けることの出来る呪力が強い)刀は、百済には無かった。百済王と世子は生を聖なる晋の皇帝に寄せることとした。それ故に、東晋皇帝が百済王に賜われた「旨」を倭王とも共有しようとこの刀を「造」った。後世にも永くこの刀(とこれに秘められた東晋皇帝の旨)を伝え示されんことを。

わかりにくい判読ですね。さて、「日本書紀」には神功皇后摂政52年に七枝刀一口、七子鏡一面、及び種種の重宝を献る。との記事があり、この実年代は372年となります。また百済王とは、「日本書紀」の神功皇后摂政55年に百済の肖古王薨せぬ。とあることから肖古王であり、具体的には百済の第13代とされる近肖古王(きんしょうこおう、在位は346年~375年)であると確認されます。

問題は「倭王旨」の解釈ですが、上記の判読とは異なる視点で考えます。文脈からすると旨は倭王の名前と考えられ、「旨」と言う名前の王がいたのではないかと思われます。その前提において、七支刀の裏面の記述と「日本書紀」の神功皇后摂政52年の記述を重ね合わせれば、倭王の旨は神功皇后を意味すると考えるしかありません。一定の前提付きですが、以上で「日本書紀」の編纂者は4世紀後半に実在していた「旨」を神功皇后に充てたと確認されました。

問題は旨なる人物の実像です。神功皇后に関連する七支刀について、福岡県みやま市瀬高町太神字長島に「こうやの宮(高野の宮)」と言う小さな社があり、この宮の名前は磯上物部神社とのことです。驚いたことに「こうやの宮」には七支刀を持った人物の像がありました。詳細は以下のホームページを参照ください。
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_trip_chikugo_0106.html

物部氏が管理する石上神宮(いそのかみじんぐう)と磯上物部神社(いそのかみもののべじんじゃ)。明らかに名前は共通しています。九州王朝説論者は「こうやの宮」は築後一宮の高良大社と関係し、その祭神である玉垂命が倭王旨に当たるとの見解を持っているようです。この説が正しいと仮定すれば、卑弥呼と台与に充てられた部分を除く神功皇后の実像は、倭王旨であり玉垂命であるとなります。

こんな漢字一文字の人物が倭の王なのか疑問もありますが、中国の史書にある倭の五王は讃、珍、済、興、武で全て一文字となっています。九州の人物である神功皇后の実像が倭王旨であり玉垂命であれば、同じ漢字一文字で表記される倭の五王もまた九州の人物になる可能性が高そうです。一般的な説では、讃が履中天皇、珍が反正天皇、済が允恭天皇、興が安康天皇、武が雄略天皇となりますが、正しいとする確証はありません。

古田武彦氏に代表される九州王朝説によれば、7世紀末までの日本の中心は九州の倭国で、8世紀からは近畿天皇家の日本国が中心になったとのことです。図書館で同氏の著作「古代史をゆるがす」(ミネルヴァ書房)が目に留まったので読んでみたのですが、あれこれ細かな事例を提起して上記の説の論証をしておられました。酔石亭主の理解力では何とも言いようがありません。ただ、同氏の主張には盲点がありそうです。

それが古墳の規模です。細かな点はさて置いて、巨大古墳が築造された場所にはその規模に見合うような政治権力が存在していたのは間違いありません。200mから400m規模の巨大古墳の築造には途方もない労力や財力の投入が必要で、それを担えるのは大王級の人物しかいないのです。そうした古墳が3世紀末頃から5世紀にかけて継続的に築造されている以上、この時代における日本の中心勢力は大和にあったと考えるしかなさそうです。

倭の五王が北九州の王だったとして、その年代は5世紀のほぼ全体に亘っています。彼らが北九州にいて日本を代表する政権だったと仮定したら、その墓は少なくとも200m超級のものでなければなりません。ところが、5世紀における北九州の古墳は100m級までとなっています。これに対し畿内の古墳はどうなっているでしょう?5世紀の畿内には300mから400m級の超大型古墳が存在しています。年代は別として200m級以上で見ると、およそ30基もの古墳が畿内とその周辺に集中しています。

これほどの古墳を築くことが可能な大王は強大な財力、権力、労働力の動員力を持っているはずです。北九州に倭国の五王がいた時代、畿内にはその数倍の力を有する大王がいたことになります。そこから何が導き出されるでしょう?

そう、倭の五王は北九州の地方政権に過ぎないものの、地理的な優位性から頻繁に中国に朝貢しており、中国側の史書に記載されたのです。畿内の情勢が中国に伝わらなかったのは、情報伝達を担うべき北九州の各王が、自分たちの利権を守るため遮断したからだと思われます。時代を下った6世紀前半においても、磐井の乱で対立した継体天皇の今城塚古墳の墳丘長が190mに対して、磐井の岩戸山古墳は130mで、これが北九州最大の古墳となっています。

古田氏は「失われた九州王朝」(ミネルヴァ書房)において、近畿大和の小国であった天皇家は、「倭国」を併合した。とか、天皇陵の規模で近畿が中心と考えるのは難点があり、各地に天皇陵以上の巨大規模を持つものがあって、吉備の造山古墳は350mもあるから規模は基準にならないとしていますが、こうした議論には無理があります。逆に吉備には一時的であるにせよ、北九州以上の政治権力が存在したと見るべきです。このためかどうかは知りませんが、邪馬台国吉備説まで唱える研究者もおられます。

ただ、近畿が支配者でその他の地域が被支配者と言う発想も正しいものとは思えず、要するに4世紀初めから6世紀前半における古墳の規模を考慮した場合、畿内勢力が日本における最大勢力であったとしか言えないはずです。

3世紀の北九州は「魏志倭人伝」に詳しく書かれています。ところが4世紀になると事情は一変します。一般的に4世紀は「空白の4世紀」と称されています。理由は、中国の文献において266年から413年にかけての倭国に関する記述が全くなく、大和王権の成立やその推移が不明であることによります。これは台与の東遷に象徴されるように、3世紀後半に北九州の主力が大和に遷したため、北九州が一種の空洞状態となり、中国側に日本の情報がほとんど入らなくなったことによると考えられます。

3世紀の終わりから4世紀前半の大和は、実態はともかく、崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇などの時代で200m級の大型古墳が多く見られ、政権の中枢は畿内に移ったと理解されます。北九州における空洞状態はしばらく続きますが、4世紀後半の380年代になって倭王旨(記紀では神功皇后)が登場し、存在感が増してきます。その流れに乗った形で5世紀には倭の五王(北九州の王)が出てきました。従って、五世紀頃畿内において超巨大古墳が築造されたにもかかわらず、朝貢を繰り返した北九州の五王の名前が中国側の史書に記載されたと推定されるのです。

このように考えれば、空白の4世紀の意味や、中国側の史書に倭の五王が記載されているにもかかわらず、5世紀における北九州の古墳が小さいと言った矛盾が解消されることになります。以上から、神功皇后に充てられる倭王旨とは、3世紀の終わりから4世紀にかけて権力が畿内に移り空洞化した北九州の政権が、一定の実権を回復してきた最初の人物と位置付けることができます。

これに続く5人の倭王は北九州の王となるので、記紀に記された大和王権の各天皇に当てはめることはできません。九州倭国或いは九州王朝(この表現が適当かどうかは何とも言えません)は大和王権の支配下にあった訳ではなく、やや小規模ながら九州地方における独立した政権と言えそうです。従って、九州王朝と言った表記は適切ではなく、北九州勢力とでも言うのが妥当でしょう。畿内においても4世紀前半以降万系一世の天皇家による大和朝廷がずっと続いていたなどあり得ない話で、様々な王が立って支配的な立場にいたと考えられます。

以上の検討から、石上神宮の宝物となっている七支刀とは、倭王旨が百済から受け取り、九州の物部氏により保管されていたものが、いつの時代にか大和の石上神宮に移されて、祀られたものと言うことになります。移された時代は多分6世紀頃と思われますが、この問題は別の機会にでも検討してみます。

なお、古田武彦氏が唱えた九州王朝説は非常に面白く興味深いものがあります。主要な著作には一応目を通してもいます。けれども、この問題を目的として九州に訪問していない以上、深入りすることはできません。機会があれば現地訪問の上、詳しく検証してみたいとは思っています。

          邪馬台国と大和王権の謎を解く その37に続く




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