下笠田八幡神社


員弁川石はまだまだ続きますが、探石のついでに、いなべ市員弁町下笠田に鎮座する八幡神社を訪問しました。水石は一休みして、八幡神社をアップします。


位置を示すグーグル地図画像。

八幡神社境内に鎮座する護国神社の表記となっています。その右手側にはめがね橋などとあるので後で行ってみましょう。そのさらに右手は、「ね」しか見えていませんがねじり橋となります。

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三岐鉄道北勢線の手前にある鳥居。

境内は三岐鉄道北勢線の踏切を越えていくことになります。もちろん鉄道より神社の方が古いはずで、同社の境内に線路を敷設したのでしょうが…。

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境内。

御祭神は応神天皇、天照大御神、建御名方命など。由緒等は不明ですが、仁寿元年(851年)(嘉祥 4 年)の創建とのことです。庄屋である多湖兵太夫の屋敷内に祀られていたものが、明治 8年(1875年)に現在地に遷されたそうです。

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拝殿。

拝殿の背後左右は回廊でしょうか?斜面に沿う形で後方が高くなっています。本殿は境内からでは見えません。面白いのは拝殿の手前左右に機雷と砲弾が安置されていることです。八幡神社境内に護国神社があることからここに置かれたのでしょうか?

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砲弾です。「至誠」と書かれています。

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機雷です。「通神」と書かれています。

なるほど、「至誠は神に通じる」との意味で納得ですが、太平洋戦争では米国に敗北しましたので、神には通じなかったことになります。ちょっとおかしいなと思って機雷を見ると、横には海軍中将和波豊一書とありました。

和波氏は山本五十六の同期で海軍中将にまでなった地元の名士です。機雷と砲弾は昭和 11年(1936年) 9 月に同氏が退役した際に寄進したもので、機雷は戦艦陸奥、砲弾は戦艦長門で使用されていたものだとのこと。戦艦陸奥は1921年(大正10年)の就役となっており、昭和11年は二・二六事件の発生した年で太平洋戦争はまだ起きていません。明治維新後の戦争は日清、日露の戦争でこれらには勝利しているので、昭和11年時点においては至誠が神に通じていたことになりそうです。なお、和波家は下笠田城主多湖家に仕えた和波彦九郎祖とする旧家とのことです。

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御神木のカゴノキと護国神社の鳥居。

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護国神社です。

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