伊文神社


今回は西尾市伊文町17番地に鎮座する伊文神社(いぶんじんじゃ)を見に行きます。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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鳥居です。

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境内。他の神社と異なり松の木が多いですね。

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拝殿。コンクリ製となっています。

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本殿。

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三姫社。

三姫と池が設えてあることから、宗像三女神を祀った境内社と理解されます。

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三姫社の祠。

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解説板。

祭神は素盞嗚尊、大己貴命、文徳天皇。

伊文神社は第五十五代文徳天皇(827年~858年)の皇子八條院宮が三河国渥美郡伊川津の地より当地へ御轉住の折に、随遷し奉祀されたとのことです。結構古い歴史がありますね。八條院宮は吉良を根城にしていた兼光・兼森という兄弟を討伐する為、西尾の地に赴かれ、その際に屋敷の東西に祀られていた、天王社(現伊文神社)と八幡社(現御劔八幡宮)を随遷されたそうです。

今回は西尾市八ツ面町麓77に鎮座する久麻久神社を訪問すべきでした。同社の由緒によれば、創建は祟神天皇の御代、久麻久連が京都丹後半島与謝の国よりこの地に来て開拓し、その産土神が当社の始まりと伝えられているとのことです。丹後半島の与謝から一体何用があって西尾くんだりまで久麻久連がやって来たのでしょう?八ツ面山の雲母を採掘するためでしょうか?

多分、「尾張氏の謎を解く」で書いた彦坐王が丹波に来た折に同行させられ、尾張に至り、その後八ツ面山の雲母を採掘するため西尾まで足を延ばしたのではないかと思われます。それ以外に、与謝在住の一族が西尾までやってくる筋道が出てきません。尾張氏の謎解きに関連するような情報が三河に転がっていたとは驚きです。同社の詳細は以下の玄松子さんホームページを参照ください。
http://www.genbu.net/data/mikawa/kumaku2_title.htm
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