尾張と遠賀川流域の謎を解く その4


西志賀遺跡からは方形周溝墓が数多く発見され、その中から舟形木棺が一基出土しています。

IMG_1996_convert_20170728085805.jpg
舟形木棺。

舟葬の観念は世界各地にあり、朝鮮半島を通じて大陸からもたらされた可能性がある。弥生時代は農業を中心とした閉鎖社会だったのではなく、海外までも含めた広い範囲の人々と積極的に交流した時代であることがわかってきた。
とモニターの解説には出ていました。こうした内容自体が酔石亭主の見解の裏付けになっているようにも感じられます。すなわち、朝鮮半島を通じて北九州にもたらされた舟葬の観念が、弥生人たちの手で尾張にまで伝えられた結果、舟形木棺の出土と言う形となったのです。それだけではありません。西区の堀越町遺跡からは後漢時代の硬貨まで出土しています。

IMG_2002_convert_20170728085905.jpg
解説板

西区堀越町遺跡では中国の貨幣「貨泉」が発見されたとあります。中国で新(秦の誤り)から後漢の初め頃(今から約2000年前)に作られた硬貨です。日本ではお金として使ったわけではないようです。どういう経路かわかりませんが、堀越町遺跡に住んだ人たちがそれを入手するルートを持っていたことがわかります。と書かれています。この硬貨の入手ルートを考えてみましょう。

後漢の時代は25年~220年となります。ニギハヤヒ東遷は190年頃と推定していますので、後漢の時代のいつ頃かは不明ですが、朝鮮半島を経由して北九州に硬貨が齎され、ニギハヤヒに率いられた大和に向かった部隊のうち、別動隊となる高倉下率いるプレ物部氏が尾張にまで至り、北九州時代の交易で得た後漢の硬貨を尾張にまで持ち込んだとのストーリーが考えられます。堀越町遺跡は西志賀遺跡の西側の庄内川に沿った位置にあります。


西区堀越町遺跡の位置を示すグーグル地図画像。

庄内川の脇に位置し、東レ工場のグラウンド辺りが遺跡の場所です。

IMG_2021_convert_20170728085951.jpg
西志賀遺跡の解説。

弥生時代前期の集落遺跡としてよく知られており、弥生文化の遠賀川式土器と縄文文化の条痕文土器がともに出土しているとのことです。この遺跡の重要性が見て取れる記述です。条痕文土器と遠賀川式土器の違いを見るため両方の土器をアップします。

IMG_2012_convert_20170728090023.jpg
条痕文系土器。

IMG_2013_convert_20170728090057.jpg
解説。

出土地は丹羽郡大口町なので、西志賀遺跡ではありません。ただ、ここでも遠賀川式土器と条痕文土器がともに出土していました。

IMG_2014_convert_20170728090128.jpg
西志賀遺跡出土の遠賀川式土器。

西志賀貝塚で出土したものとのことで、巨大算盤玉のような形となっています。

IMG_2022_convert_20170728090220.jpg
朝日遺跡の解説。

弥生時代の中期に大きな集落となったようです。

IMG_2033_convert_20170728090259.jpg
弥生時代終末期の解説。

巨大な濠を掘り守りを固めた、伊勢湾の海路を巡る争いに備えたのかもしれない、などと書かれています。朝日遺跡は巨大な環濠集落でしたが、それに加えて逆茂木、乱杭と言った防御施設をも設置していました。弥生時代後期以降における北九州の不安定な状況が尾張にまで反映されているかのようです。

今回までの検討で、遠賀川流域にいた弥生人たちが約2300年前に遠賀川式土器を尾張に伝え、彼らは知多半島、熱田台地、さらに北の庄内川流域にまで進出した点が確認されました。また、熱田台地の高蔵遺跡(物部氏系の高倉下を祀る高座結御子神社鎮座地一帯)は弥生時代を通して営まれ、各地と海上交通により幅広い交流があった点も確認されています。これらは何を物語っているのでしょう?

そう、北九州と尾張が弥生時代を通して海路にて結ばれていたことは、紀元190年頃と推定されるニギハヤヒ東遷において、プレ物部氏の別動隊が尾張にまで至る基礎となったのです。北九州と尾張の関係を何とか弥生時代前期から弥生時代末期にまで繋げられましたね。

弥生時代前期の2300年前、遠賀川流域の弥生人たちは独力で尾張にまで至ったのでしょうか?証拠などないものの、北九州の海人系が支援したと推定されます。では、ニギハヤヒや高倉下の時代(紀元190年頃)はどうだったのでしょう?ニギハヤヒの時代における海人系は安曇族の前身と考えられますが、そうした一族がプレ物部氏を尾張にまで案内したなら、知多半島、熱田台地、庄内川流域のどこかに彼らの痕跡が残っているはずです。実は前回出てきた地名で気になるものがあります。それが元志賀です。西志賀遺跡も遺跡名の中に志賀が入っています。この地名は何を意味するのかも含め、次回は安曇族の問題を探っていきましょう。

          尾張と遠賀川流域の謎を解く その5に続く

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる