尾張と遠賀川流域の謎を解く その14


今回は本城に鎮座する八剣神社の由緒を見ていきます。

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由緒です。

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由緒の続き。やや長いものの、非常に明快なので以下に書き出してみます。

八劍神社御由緒
御祭神 日本武尊(紀) 倭建命(記)
八剱神社は、本城を本社として付近周辺合わせて十数社をかぞへる。当神社の御由緒については、「筑前続風土記拾遺筑陽記筑前早鑑記太宰管内誌」にでたり。

伝えられる、次の二説がある。

「第十二代景行天皇の御代、日本武尊が熊襲征伐の折り、この地に立ち寄られた。又、神功皇后も、この地で神祇を奉り武運の長久を祈られた。かかる霊地として、第六十四代円融天皇の貞元元年丙子(九七六年三月)に、祠を建て日本武尊を奉斎した。」

「三河守範頼が、この地に本城を築いた折り、平家追討の戦い安らかなるを祈願するため、下河辺庄司、渋谷庄司の両名に命じて、尾張(名古屋)熱田神宮より劔大神を勧請して奉祀した。」

「今に至っては、いずれを創始とするか明らかではないが、ただ、この地に貝塚や多くの古墳が発見されていることから、既に、古代より人々の集落が形成され、又我が国の神社信仰の形態が皇室の祖先神人格神を祭神として奉祀し五穀豊穣鎮護国家を祈願してきたことからすれば、この地も、古い時代から至極当然のことであったと考えられる。そして、その祠は、源範頼がこの地に本城を築城した際に、御神殿を造営し、御祭神を勧請したと見るべきであろう。」
即ち、八劔神社の創祀は、貞元元年(976年)であったと考えられるが、それより以前に古代の人々が、劔大神を祭っていたのではないかと思われる。…以下略。


本城八剣神社の由緒により、源範頼が熱田神宮から剣大神(日本武尊)を勧請した点は確認されました。ややこしいと思った割には案外あっけなかったですね。そして由緒に書かれた二説こそが、酔石亭主の見解を裏書きするものです。すなわち当初は北九州の武人(記紀の日本武尊に擬せられた人物)が特に社名のない祠にて祀られており、1185年に源範頼が尾張の熱田神宮から剣大神(日本武尊)を勧請した結果、元の北九州の武人を祀る祠が上書きされて八剣神社になったのです。従って、二説はどちらも正しいことになります。

問題は、「八劔神社の創祀は、貞元元年(976年)であったと考えられるが、それより以前に古代の人々が、劔大神を祭っていたのではないかと思われる。」と書かれた最後の部分です。この場合の剣大神とは北九州の武人(としての日本武尊)と解釈すべきでしょう。仮に976年より以前に古代の人々が祀っていた剣大神が熱田神宮の日本武尊と同じだとしたら、源範頼が新たに勧請する必要など何もなく、既にある剣大神に戦勝祈願すればいいだけの話となってしまいます。源範頼が新たに尾張から剣大神(日本武尊)を勧請したのは、北九州の武人と尾張の日本武尊が別人(別の神)であることを知っていたからに他なりません。

本城八剣神社を検討しただけで、北九州版日本武尊と尾張、大和版日本武尊が別人(別の神)であると確認されました。この点は今後の検討にとって重要なので、ご留意ください。

もう一つ重要な点があります。それは、由緒の初めにある「八劔神社は、本城を本社として付近周辺合わせて十数社をかぞへる。」との記述です。「その11」で書いたように八剣神社の系統だけで10社以上はありそうで、剣神社も史料によって八剣神社と書いているものもあります。ここから何が見えてくるでしょう?

そう、遠賀川流域に鎮座する八剣神社は基本的に本城より分祀されたものと確認されるのです。例外はあるものの、当初北九州の武人を祀っていた遠賀川流域の各社(各祠)は、熱田神宮の剣大神(日本武尊)によって上書きされ、その結果八剣神社と称されていることになります。尾張から勧請された年代は源範頼が北九州に来た1185年であり、目的は源氏側による北九州統制強化の一環だったと考えられます。剣神社の場合はどうでしょう?剣神社各社に関しても同様に、尾張や大和からの影響を受けていそうですが、その時代は異なるはずなので後の回でじっくり検討する必要があります。

今回は短い記事の割に内容の濃いものとなりました。中山八剣神社など幾つかの例外は別途考えるとして、本城八剣神社の検討から導き出された重要事項を以下のように纏めます。

北九州版の日本武尊と尾張、大和版日本武尊は別人(別の神)である。
遠賀川流域に鎮座する八剣神社は基本的に本城の八剣神社より分祀されたものである。
当初北九州の武人を祀っていた遠賀川流域の各社(各祠)は、熱田神宮の剣大神(日本武尊)によって上書きされた結果、八剣神社と称することになった。
この上書きは源氏側による宗教面での北九州統制強化が目的であったと考えられる。

上記の纏めは一社を見ただけの結果であり、まだ断定するには至りません。それが他の八剣神社にも当てはまるのか調査し確認する必要があるのです。と言うことで、次回は立屋敷の八剣神社に行ってみましょう。それにしても、遠賀川流域に鎮座する一社の検討が終わっただけなのに既に14回を数えるとは、この先どんな展開となるのでしょうね?尾張と遠賀川流域を繋ぐ壮大なストーリーの行き着く先は予想もつきません。 

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その15に続く
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