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尾張と遠賀川流域の謎を解く その54


今回は中間市大字垣生424に鎮座する埴生神社(はにゅうじんじゃ、はぶじんじゃ)を訪問します。鎮座地は池もあって公園のようになっており、周囲には何軒も豪邸がありました。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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立派で趣ある日本家屋。

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こちらの敷地は実に広大です。

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池と神社に通じる太鼓橋。

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一帯の概略図。

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大鳥居です。その先に太鼓橋が見えています。

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太鼓橋の手前です。

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さらに進むとまた鳥居。

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また鳥居があって、石段を登ります。

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境内と拝殿。

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解説板。

前回で仲哀天皇と神功皇后が登場しましたが、この場所も両者に関係しており、熊襲征伐のため船でこの地を訪れ、航海の安全を祈願し、船魂の神を祀ったとのことです。従って、位置関係からすると崗水門に到着して以降の最初の停泊地になりそうですが、「日本書紀」のその後の記事では筑紫の伊覩縣主(いとのあがたぬし、伊覩は現在の福岡県糸島郡)や筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや、現在の香椎宮で福岡市東区香椎4丁目)などが出てきます。

埴生の埴は赤い土や粘土を意味しています。赤い土は水銀の丹生(にゅう、にふ)にも通じる意味があり、神功皇后が三韓征伐するに当たり、水銀の神である爾保都比売命が国造の石坂比売命に憑いて神託し、赤土を授けて勝利が得られたと言った伝説もあることから、(はにゅう)の方が適当かもしれません。ちなみに、現在の地名の垣生は(はぶ)と読みます。ただ、一帯は当時島だったようで、波浮(はぶ)の方が見合っているようにも思えてしまいました。

前に書いたようにパソコンが不調で、USBとUSBポートまで壊れているので、パソコンが完全にアウトになると、途中で終了せざるを得なくなります。その場合はご了承ください。

            尾張と遠賀川流域の謎を解く その55に続く
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