エルサレムとは その5


前回で書いたように、イスラエルの民は、紀元前1232年頃モーゼに率いられエジプトを出てカナンの地に向かいました。モーセは40年もの長きにわたり荒野をさまよい、ヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、約束された地を目にしながら120歳で世を去ります。彼もまた驚くほどの長命だったようです。

モーゼの後継者となったヨシュアはイスラエルの民を率いてカナンの地を制圧し、レビ族を除くイスラエルの十二族に分配しました。なお、出エジプトが紀元前1445年との説があり、その場合ヨシュアがカナンの地を支配したのは紀元前1405年頃になります。まあ、ヨシュア一代でカナンの地を征服したとは思えず、長い時間をかけて手に入れたのでしょう。

旧約聖書ではその後は士師(しし)の時代となります。当時のカナン(パレスチナ)にはパレスチナの地名の元となったペリシテ人が攻め込んで、イスラエルの民は何度も敗れてしまいます。鉄器を持つペリシテ人に勝つのは難しかったのでしょう。けれども、その都度士師と呼ばれる英雄的指導者が登場して彼らと戦いました。一時は契約の聖櫃までもが奪われる事態となりますが、何とか奪い返しています。こうした状況が続き、遊牧民だったイスラエルの民は強力な王権の必要性を感じ始めたのです。

そうした頃、人々の期待を受けてベニヤミン族の青年サウルが王に即位しました。即位は紀元前10世紀頃と思われます。彼の即位後も、ペリシテ人との戦いは続いていました。ペリシテ人との戦いが続く中、巨人であるゴリアトが姿を現し、その巨体を目にしたサウル王の軍隊は恐怖におののきます。

これは大変と思っても、うまくできたもので、危機に直面すると必ずヒーローが登場します。そう、かの有名なダビデです。ベツレヘムの牛飼いダビデは石投げ器を用いてゴリアトを殺しイスラエルは危機を免れるのです。サウル王はダビデを寵愛しますが、ダビデの人気が自分を越え嫉妬のあまり彼を殺そうとしました。何とダビデは宿敵だったペリシテ人の国に逃亡し、一方サウルはペリシテ人との戦いに敗れ死去します。その後、様々な経緯を経てダビデはイスラエルを統一し王になるのです。

ダビデは首都をヘブロンからエルサレムに移し王宮を建設、契約の聖櫃も安置されました。
ダビデ王の在位は紀元前1000年から961年頃とされています。よって、イスラエルの民の遠祖であるアブラハムの時代から700年の時を経てイスラエルが王国としての体裁を整え、エルサレムが王都となった訳です。700年と一口で言いますが、日本に置き換えると鎌倉時代の終わりから現代までにほぼ等しいほどの長い期間となります。

ダビデ王はペリシテ人を降伏させ周辺の諸民族も征服します。これでイスラエルも安泰と思ったのもつかの間、ダビデは部下を殺してその美人妻パト・シェバを手に入れてしまいます。これは神の怒りに触れ、様々な問題を引き起こしました。そしてダビデの晩年、パト・シェバが強引にソロモンを次の王位につけさせます。ソロモン王の在位は紀元前967年から928年で、この期間イスラエルは平和と繁栄のさなかにありました。

ソロモン王はエルサレムのモリヤ山で神殿と王宮の建築を始めましたが、モリヤ山の場所に関しては諸説あります。ともあれ、契約の聖櫃も至聖所に安置されイスラエルの民の喜びもひとしおだったものと思われます。民の信頼は絶大だと油断したのか、ソロモン王は女に狂い彼女たちが持ち込んだ異教神の信仰にヤハウェの神は怒ります。

そのせいかどうかは知りませんが、ソロモン王の死後に王国は分裂しエルサレムの北側は10支族によるイスラエル王国(北王国)、南側が2支族のユダ王国(南王国)となりました。紀元前922年頃の話とされています。イスラエル王国は約200年続くものの、メソポタミアに台頭したアッシリアにより紀元前721年頃に滅亡します。アッシリアのサルゴン2世により10支族の民の指導者層は連れ去られ虜囚となり、連衡を免れた者たちは中東全域に離散しました。有名なイスラエルの失われた10支族です。残留した人々も非ユダヤ人の植民と通婚によりイスラエルの民としてのアイデンティティを喪失。イスラエルの民は消散したのです。

では、ユダ王国はどうなったのでしょうか?ユダ王国はアッシリアに服属しつつもかろうじて王国を保っていましたが、紀元前609年に起きたメギドの戦いで敗北。エジプトの支配下に入ります。紀元前605年にはエジプト第26王朝が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れ、紀元前597年には新バビロニアの支配下となりました。紀元前586年にエルサレと神殿までも破壊されてします。その後の紀元前582年も含めユダ王国の民はバビロニアへ連行されました。いわゆるバビロン捕囚です。

紀元前539年ペルシャ王のキュロスは新バビロニア王国を破り、ユダ王国の民はエルサレム帰還と神殿の再建を許されます。うんと端折って書いていますが、ここに至るまでにも様々な出来事が起きています。翻って日本を見るとこの頃は弥生時代で、稲作が各地に広がりつつありました。卑弥呼の登場は紀元前539年からおよそ750年も後の話になり、悲しいかな自国の史料は何一つ存在しません。比較すると日本の歴史の浅さに溜息が出そうになりますね。
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