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大須探訪 その7


大津通に面して大きなビルがあり、巨大な龍が壁面に飾られていました。

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巨大な龍。

道頓堀界隈の立体看板を彷彿とさせますが、どうもお店の宣伝とは異なっているようです。ビルの名前は万松寺ビルとありました。これは有名な万松寺所有のビルなのでしょう。


万松寺と万松寺ビルの位置を示すグーグル地図画像。ビルは万松寺の右手。

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ビルの入り口。写真の右下端が切れているのが不思議です。

萬松不動明王の石柱があり、入り口は万松寺とあります。ひょっとしたらビルの中が参道になっているのでしょうか。

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もう一枚。

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面白い飾り。獅子のようでもありますが、わかりません。

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ビル内の参道を抜けると万松寺。背後のビルがお寺です。

このお寺は織田信長の父・信秀の葬儀の際に信長が位牌に抹香を投げつけたことで有名です。但し、大須に移転前の萬松寺での話です。また徳川家康が人質として今川義元の元に送られる途中この寺で過ごしたとも伝わっています。万松寺(萬松寺)に関しては以下Wikiより引用します。

天文9年(1540年)、織田信秀により織田氏の菩提寺として那古野城の南側に建立された。開山には信秀の叔父にあたる雲興寺八世・大雲永瑞和尚を迎えた。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていたが、慶長15年(1610年)、名古屋城を築く際に小林邑(現在の大須3丁目)に移建した。移転後も尾張徳川家朱印寺として篤く信仰され、亜相源敬公大夫人霊廟(徳川義直室高原院の御霊屋(廟))が置かれるなどしていたが、幕末頃から徐々に衰退した。大正元年(1912年)に三十七世大円覚典和尚が寺領の山林の大部分を開放することを決断し、開拓された町は現在の大須3丁目となって、萬松寺は再び賑わいを取り戻すこととなった。しかし、1945年(昭和20年)3月12日の名古屋大空襲で大須も焦土と化し、本堂が再建されたのは平成に入ってからである。大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有している。2016年(平成28年)曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院となる。
2017年(平成29年)には、2015年(平成27年)から行われていた不動堂および稲荷堂の建て替え工事が完了し、新諸堂「白龍館」としてオープンした。


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万松寺をもう一枚。万松寺ビルの龍はこちらの白龍と照応していたと思われます。

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お参りの人々で賑わっています。

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バッファローの立体飾り。水牛寺はありませんので、これはお店でしょうね。

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昼食はこのレストランです。

ピッツェリアブラチェリア チェザリと言うとても覚えられない名前で、ナポリピッツァ世界チャンピオンになった方のお店です。食べログで見てもかなり高い評価となっていましたが、そこまでとは思えませんでした。まあ、酔石亭主が味覚音痴なのかもしれませんが…。

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