FC2ブログ

大須探訪 その16


若宮八幡社のお隣には政秀寺があります。寺の名前通り、織田信長の傅役だった平手政秀の菩提寺となります。Wikiによれば、天文22年(1553年)に織田信長が、家臣の平手政秀を弔うために小牧山(同県小牧市)の南にある小木村に創建したのが始まりである。その後慶長15年(1612年)に、現在地に移転した。山号は「瑞雲山」。本尊は十一面観音とのことです。

DSCN1806_convert_20180403071614.jpg
政秀寺です。

DSCN1807_convert_20180403071727.jpg
建物は新しそうです。

DSCN1811_convert_20180403071838.jpg
コンクリの本堂。

DSCN1808_convert_20180403071927.jpg
解説板。

信長が自分の素行不良を嘆いて諌死した平手政秀の菩提を弔うため、と書かれています。これは本当なのでしょうか?政秀が諌死したのは天文22年の2月25日。素行不良の信長なら、政秀の死後直ちに菩提を弔うため寺を創建などしないでしょう。また、信長の父である織田信秀は前年の天文21年(天文20年説あり)に死去しています。父の死後信長は家臣を統率する動きを見せていました。そうした状況で政秀が諌死するとは思えません。

政秀の身内に信長に逆心を抱くような人物がいたので、それを詫びて自害したと考えられます。例えば、信長の弟に勘十郎信行がいます。信行は信長に敵対し、1557年に清須(清洲)城内で暗殺されました。平手政秀の息子の長秀は末盛城の城主だった信行に味方していたので、それをお詫びして自害し、哀れんだ信長がすぐに菩提寺を立てたと考えられます。いずれにしても、政秀寺は現在の春日井市に創建され、焼失の後清州にて再興され、1610年から始まった名古屋城築造に伴う清州越しで現在地に移転したことになります。現在の建物が新しいのは戦災により焼失したからで、他の神社仏閣と同じような経緯をたどっていることになります。

DSCN1809_convert_20180403072044.jpg
水石との連想でつい撮影してしまいます。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる