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大須探訪 その17


今回は大須観音の南に移り、大須通沿いにある本願寺名古屋別院を見ていきます。ここは大須古墳群の一つである大須二子山古墳の所在地だったので、古代の大須を探索する際、少しだけ触れています。


本願寺名古屋別院の位置を示すグーグル画像。所在地は名古屋市中区門前町1-23。

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本堂です。

1945年に米軍の空襲によって鐘楼・南門以外のすべての建物が焼失。現在の本堂は1972年の再建となります。だだっ広い敷地の半分が駐車場で、北側は幼稚園となっており、残念ながら味わいに欠けるものがあります。

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本堂上部の飾り。何か意味があるのでしょう。

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本堂を斜め位置より撮影。

このお寺の前身は明応10年(1492年)までに本願寺の蓮淳によって現在の桑名市に創建された桑名願証寺でした。願証寺のある長島は、木曽三川が伊勢湾に流れ込むデルタ地帯にできた砂州の島で、長島一向一揆の舞台となった場所です。天下統一を目指す織田信長にとって、石山本願寺は最大の敵であり、大苦戦を強いられた相手でもありました。

元亀元年(1570年)には本願寺第11世顕如が信長に対抗すべく各地の門末に檄を飛ばし、長島においても一向一揆勢が蜂起しました。二度にわたる戦いにも決着がつかず、三度目に侵攻した信長の部隊は、長島一向一揆勢力の反撃により重臣や織田一門の武将を失い手ひどい打撃を受けています。最終的には2万人もの男女が殺害され、一揆は鎮圧されたのです。

先日、津本陽氏著の「信長影絵」を読んだのですが、長島一向一揆との凄惨な戦いも活写されており、強く印象に残っています。現在の名古屋別院を見ても、そんな凄惨を極める過去を書いた解説板など何もありません。せめてそうした歴史を書いた解説板を立てるべきではないかと思います。願証寺は天正12年(1584年)頃清洲にて再建され、例によって徳川家康の清洲越しで現在地に移転しました。

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鐘楼です。

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鐘楼の解説板。

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南門です。これも戦災を免れました。

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北斎関連の解説板。
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