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大須探訪 その19


前回で織田信長が桶狭間の戦勝後千本の松を植えた話を書いています。今回はその話にも関連しそうな場所を見ていきましょう。場所は堀川にもほど近い松原緑地です。


位置を示すグーグル画像。木々の緑が見える部分が松原緑地。

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以前にもアップした大須通から松原緑地へと向かう急坂。

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松原緑地には巨大なクスノキがありました。樹齢千年と推定されているようです。

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正面から見ると、無残な姿です。この巨木も米軍の空襲で焼けたとのこと。

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ズームします。

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斜め位置から撮影。

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そのズーム。

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解説板。

信長が出陣(桶狭間の戦い)の際戦勝を祈願した大クスノキとあります。この場所はかつての日置城跡となり、古い歴史がありそうです。日置城に関しては以下Wikipediaより引用します。

元々は平安時代に開かれた荘園「日置荘」の拠点であったと言われるが、遺構などは全く残されていない。築城年・築城者のいずれも不明。城主も織田寛定と織田忠寛の2説がある。弘法大師御手植えとされ樹齢1000年以上とも言われる大楠(樹高20メートル、幹周り7メートル、昭和7年に愛知県天然記念物指定)があり、織田信長が出陣に際してこの大樹に戦勝祈願をしたとも伝わるが、この部分については近在の日置神社の話と混ざっている可能性もある。
なお、城跡とされる範囲は堀川東岸の熱田台地の縁に位置しており、旅籠町遺跡(はたごちょういせき)の別名でも呼ばれる。旅籠町の地名は江戸時代に朝鮮通信使が名古屋を通った際、下官の宿泊所がこの付近に置かれたことに由来するという。


上記の「織田信長が出陣に際してこの大樹に戦勝祈願をしたとも伝わるが、この部分については近在の日置神社の話と混ざっている可能性もある。」に関しては、確かに混ざっている部分がありそうです。日置神社の由緒を見ると、神社の神境に松を千本植えたとありました。けれども、松原緑地はすぐ西が堀川であり、川沿いに植えたと考えるほうが筋が通りそうです。信長は日置神社で戦勝祈願し、勝利の後に堀川沿いの一帯に松を植えたのではないでしょうか?
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