FC2ブログ

名古屋散策 その2


今回は桃厳寺境内にある名古屋大仏を見ていきます。この大仏の名古屋における知名度はどの程度か知りませんが、有名なのは東大寺と鎌倉の大仏であり、以前にご紹介した岐阜市の大仏、東海市聚楽園の大仏、そしてこの名古屋大仏も全国的にはほとんど知られていないと言っていいでしょう。ただ、岐阜の大仏も聚楽園の大仏もその像容は有名大仏と似通っています。一方、なぜか名古屋大仏だけは他と異なっているのです。その違いを見るのも面白いので早速行ってみましょう。

DSCN2538_convert_20180602134016.jpg
まず目に入るのは巨大な仏の手。

DSCN2543_convert_20180603070347.jpg
名古屋大仏です。

昭和62年(1987年)に建立された青銅製の大仏で、全高15m(本尊の高さ10m 台座高さ5m)となっています。全く現代の大仏と言っていいでしょう。建立後、短期間で大仏の表面が劣化したのか、2006年に緑色に塗り替えています。

では、名古屋大仏が他と異なっている点を見ていきましょう。基本的に大仏の台座は蓮の花(蓮弁)となっています。東大寺の大仏も蓮ですね。鎌倉大仏は蓮ではないように見えますが、江戸時代の修復の際蓮の台座を作る予定だったのに、製作費用がかさみ、寄進者も少なかったので中止となってしまったものです。完成した32枚のうち4枚の蓮弁は大仏の背後に設置されています。ところが、名古屋大仏の場合10頭の象が本尊を支え、台座の正面は僧侶と鹿の像が配置されているのです。大仏下の平たく薄い台部分に彫り込まれているのが蓮でしょうか?

DSCN2540_(2)_convert_20180603070453.jpg
台部分と象さんを拡大。

次に変わっているのはその色です。まるで半魚人のような緑色で違和感があります。なぜこのような色を塗ったのか知りたいですね。もっとも違和感があったのはそのお顔です。

DSCN2541_convert_20180603070547.jpg
上半身を撮影。

大仏のお姿に何か怖さが感じられませんか?一般的に大仏の目は半眼(はんがん)となっています。これは目を見開いてもなく閉じてもいない状態を言います。多分仏様は目と言う器官だけでなく額の白毫(びゃくごう、透視も可能な第三の目)を駆使しているから半眼なのでしょう。また半眼だと優しい雰囲気が醸し出されます。鎌倉大仏はその典型ですね。ところが、名古屋大仏は怖さを感じさせるのです。唇が分厚いためかもしれませんが、酔石亭主はその目が気になります。

DSCN2542_convert_20180603070641.jpg
お顔の画像。画像サイズを大きくしています。

いかがでしょう?名古屋大仏には黒目部分がない。森羅万象を心眼で見ているのでしょうか?金箔を施す前は黒目があったのかもしれませんが、確認できません。(黒目の跡がうっすら見えるような気がしないでもありません)工事する際全部金箔で覆ってしまったのかも…。多分黒目部分がないため、その容貌が怖さを感じさせるものになっているのではないでしょうか?

鎌倉大仏の場合も目が閉じる一歩手前程度なので、黒目部分はほとんど見えていませんが、それにもかかわらず優しい眼差しではあります。名古屋大仏の場合、半眼と言うほど目は閉じておらず、しかも全体が金色なので違和感があり、怖い感じにつながっているのではと思われます。大仏の目に焦点が当たってしまいましたが、東大寺の大仏の目に関しても、以下のような面白い伝説があります。

完成間近となった大仏に片方の目が入っていないと職人たちが気づきます。職人が片方の目玉を担いで大仏の顔に登り、空洞状態の目の中に入って内側から目玉をはめ込みました。そうなると、職人は大仏の顔の中に閉じ込められてしまいます。これは困ったと仲間の職人たちは頭を抱えました。すると閉じ込められたはずの職人は、鼻の穴から抜け出したのです。職人の賢さに仲間は拍手喝采。これが「目から鼻に抜ける」の語源となったのでした。

別バージョンは江戸時代まで下ります。ある日、大仏さまの目玉が抜け落ちて、どこヘいったかわかりません。そこでお坊さんたちは新たに目玉を造り大仏の目に嵌めようと考えました。ところが新たな目玉を造り次に足場を組んで大仏の目に嵌めこむと、莫大な費用が掛かります。値引きさせたいお坊さんと工事の親方の交渉は行き詰ってしまいます。それを見た江戸の男が、安く請け負おうと言いました。彼は抜け落ちた目玉が見つからないのは、大仏の中に落ちたからで、それを拾って嵌め直せばいいと考えたのです。

男が大仏の目から中に入って探すと、案の定目玉は大仏の中にありました。男は目玉を担ぎ上げ(大仏内部の下に落ちたものをどうやって担ぎ上げるの?大きな目玉を担いで柱や横木を猿のように登れるのでしょうか?)、大仏の中側から目に嵌めこんだのです。それを見ていたお坊さんや親方たちは、目玉を嵌めた後どうやって出てくるのだと騒ぎ始めます。すると男は大仏の鼻の穴からするりと出てきました。みんなは感心して、目から鼻へ抜けたと男を褒め称えました。これが、非常に利口で賢いさまや、物事の判断がすばやく抜け目のないさまを意味する「目から鼻へ抜ける」の語源となったのです。

さてはて、どちらが本当なのでしょう?東大寺の大仏は戦国時代の戦火で溶け崩れ、江戸時代に再建されたので江戸時代の話が正しそうです。ただ、江戸時代における大仏再建の技法がどのようなものだったのか酔石亭主には知識がありません。例えば頭部を造るのに、目玉だけ後ではめ込む、頭部全体を一体成型する、のどちらだったのでしょう?また鼻の穴にしても、子供が通れる程度の小さなもので、大人では通り抜けられないようです。大仏内部に落ちた目玉を担ぎ上げるのも簡単ではなさそうです。様々な難点をクリアできるか不明である以上、答えは出せません。江戸時代の話も伝説的なものとするしかなさそうです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる