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鎌倉の谷戸を巡る その24


ようやく歩き回るのに適した季節となったので、鎌倉の谷戸巡りを再開し、一昨日は法性寺界隈を巡ってみました。法性寺は、逗子方面に向かい小坪トンネル(幽霊が出るので有名)を抜けた先を左折し、九木踏切を渡ってすぐの場所にあります。

ちなみに、九木踏切も白い服を着た女の幽霊が出るとかで、心霊スポット系のブログには詳しく取り上げられています。幽霊はともかく、事故が起きやすそうな踏切であることは確かで、近くには慰霊碑もあり、通行には十分な注意が必要でしょう。幸い酔石亭主は事故に遭うことも、幽霊を見ることもなく、無事通り過ぎました。

山門を潜り抜け、車から降りて歩きます。本堂から奥之院までは舗装された坂と急な石段が続き、年のせいか足がやけに重く感じられました。

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坂の上から谷戸を見下ろします。写真からも高度感が見て取れます。

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奥之院です。

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もう一枚。

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扁額。両山奥之院と書かれています。やや変わった名前ですが、理由は解説板に。

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解説板。内容は以下の通りです。

當山は文應元年(1260年) 八月二十七日、日蓮聖人、松葉ヶ谷草庵焼討御法難の砌(みぎり)、山王権現の霊應白猿の導くに任せ難を此の山腹の岩窟に避け給いし霊跡にして、猿畠山法性寺と号す また、大聖人の上足師孝第一日朗聖人の全身舎利を奉安する御廟にして、池上本門寺、比企ヶ谷妙本寺両山の奥の院と称す。

この解説板を読んで疑問が湧きあがりました。日蓮を導いた白猿とは誰なのかという点、また岩窟とはどこかという点です。まずは白猿から……。

日蓮が法難にあった際、彼を導いたのは山王権現の霊応(というか神の使い)とされる白猿でした。もちろん猿にそんな知恵はありませんので、実際には人間が導いているはずです。ではどのような人間が日蓮を避難させたのでしょう?

そこで山王権現に着目しました。山王権現とは日吉大社が祀る比叡山の地主神(=大山咋神)であり、日吉大社の神使は猿であるとされています。であれば、日蓮を救ったのは日吉大社系列の修験者あるいは行者ということになりそうです。でも、どのようなルートから日蓮と日吉大社が結びつくのでしょう?

日蓮は比叡山に登り天台宗を学んでおり、彼の教えのベースには天台宗がありました。そして、天台宗の広がりとともに日吉神社が各地に建立されています。ここに日蓮と白猿を繋ぐ回路があったのです。日蓮を導いた白猿とは、日吉大社系列の行者・修験者あるいは台密の行者でした。厳しい修業を積んだ彼らが、白装束に身を包んで峰から峰を軽々と越えていく姿は白猿そのものであり、猿に擬せられて当然と思われます。

つまりこの話は、日蓮が松葉ヶ谷の草庵で「立正安国論」を著して北条時頼に建白し、それに怒った他宗の信徒や僧侶によって草庵を焼き討ちされ、日吉大社系あるいは台密の行者・修験者の手引きで岩窟に逃げ延びたということでしょう。

次に日蓮が隠れた岩窟です。奥之院の脇には岩窟のようなやぐらがあります。

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岩窟です。中には五輪塔が…。

これが日蓮の隠れた岩窟と伝えられていますが、実は、安国論寺の裏山にも日蓮が逃れた岩窟がありました。Wikipediaによれば以下の通りです。

安国論寺(あんこくろんじ)は神奈川県鎌倉市大町(名越)にある日蓮宗の寺院。山号は妙法蓮華山。池上法縁。長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。開山は日蓮とするが、弟子の日朗が文応元年(1260年)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりである。
その他、南面窟(松葉ヶ谷法難時に、白猿に導かれて避難した場所)や日朗上人荼毘所(日朗が出家剃髪した場所で荼毘に伏して欲しいとの遺言による)がある。


混乱させられますが、二カ所あるうちのどちらが日蓮の避難した岩窟なのでしょう?鎌倉において、人が長期間隠れるに適した自然の岩窟は存在しないはずです。いずれの岩窟もやぐらとして、あるいは修業の場として日蓮以前に人工的に掘られたものと思われます。ですから日蓮は、修験者の修業の場である岩窟に逃げ込んだのでしょう。

まず、松葉ヶ谷が安国論寺だとすると、その裏山の南面窟ではすぐに見つかってしまう危険性が大です。とすれば、法性寺の岩窟の方が安全度は格段に高くなります。また寺の背後には名越の切通しがあり、この地は鎌倉と外界を分ける境界となっています。

さらに法性寺周辺地域は、死者を葬る葬送の地であり、その意味でも異界的な要素が色濃く漂っています。言い換えれば、この一帯は極めて探索しにくい場所に当たり、死者に引導を渡す行者が隠棲していても不思議ではありません。

以上からすると、法性寺の岩窟が日蓮の隠れた場所と比定できそうです。ただここでも問題があります。そもそも法性寺は、日蓮が白猿に導かれ岩窟に入って法難を逃れたことから、弟子の日朗によって寺の建立が始められたものです。日蓮の重要な聖跡である岩窟に、誰かのお墓である五輪塔を置くとは考えられません。

法性寺の岩窟と五輪塔は、日朗のものとも考えられますが、日朗の庵所は奥之院手前の建物であり、五輪塔は鎌倉末期のものとされているようです。

どうもすっきりしませんが、現時点での結論としては、日蓮は日吉大社系あるいは台密系の誰かの手引きで、奥之院脇ではない周辺の岩窟あるいは行者の修業場所に隠れたとするのが妥当なように思えます。

            ―鎌倉の谷戸を巡る その25に続く―
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