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名古屋散策 その5


奉安塔を出て、散策しながら日泰寺の東にある揚輝荘へ向かいます。

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給水塔がよりはっきり見えました。

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日泰寺の五重塔。丘の上にあると理解されます。

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こんな風に見ると風情もあります。

少し歩くと揚輝荘です。覚王山の一帯は高級住宅街となっていますが、揚輝荘がその走りなのかもしれません。

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案内図。北庭園から見ていきます。

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庭園です。

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伴華楼(ばんがろう)です。

昭和4年、鈴木禎次の設計により尾張徳川家ゆかりの座敷に洋室等を加えて建築したとのこと。

以下Wikipediaより引用します。

揚輝荘(ようきそう)は、愛知県名古屋市千種区法王町にある庭園。
元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘として、覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)に隣接する約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた。1918年(大正7年)に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園が造られるなどして、最終的に完成した昭和12-14年頃には移築・新築された30数棟があったという。大正から昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に、外国人も多数訪れ、国内からの寄宿生に加えて、1935年(昭和10年)からは矢田部保吉駐タイ特命全権公使の要望を受け、タイ人の留学生の受け入れも行っていた。
1945年(昭和20年)3月24日に空襲を受けて建造物の多くが焼失。また戦中は日本軍に、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用された。敷地の多くが開発されて庭園も南北に分断されたが、数棟の貴重な建物と庭園が残されている。2003年(平成15年)から特定非営利活動法人揚輝荘の会が管理を行っており、2006年(平成18年)度末には土地建物が名古屋市に寄贈、2008年(平成20年)5月に市の有形文化財に指定された。


揚輝荘のホームページも参照ください。
https://www.yokiso.jp/yokiso/
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