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東海の秦氏 その6

東海の秦氏
11 /08 2010

藁科川での探石を終え、次に秦氏の関与があるとされる建穂神社(たきょうじんじゃ)に向かいます。この近くには建穂寺(現在は廃寺)が建てられており、建穂寺が建穂神社の別当だったと思われます。

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解説板です。ほとんど寺の解説になっています。

写真では読みづらいので以下記載します。

建穂寺は、白鳳十三年(六六二)法相宗の道昭が草創し、養老七年(七二三)に行基が再興したと伝えられる。創立年代には疑問が残るが、県内屈指の古寺として、天平七年(七三五)の「寺領寄進」の記録が寺の古さを特徴づけている。平安中期の『延喜式神名帳』に、建穂神社の名がみえ、「神仏混淆」の寺であった。安倍七観音の霊場でもあり、観音堂には珍しい稚児舞が伝わっていた。(現在は浅間神社廿日会祭に受け継がれ静岡県無形民俗文化財に指定)鎌倉時代の高僧南浦紹明は、幼年期を建穂寺で修行した。学問を目的とした建穂寺は、弘法大師の意志を継ぎ、今川 徳川両家に保護されたが、明治初期に経営が困難となり廃寺となった。文化財の一部は、観音堂内に保存されている。

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拝殿です。

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本殿です。

本殿には馬鳴(めみょう)大明神が祀られているとのことで、馬鳴は古代インドの仏教僧侶を意味します。この神の実体は馬鳴菩薩で、貧しいものに衣服を与える菩薩、養蚕機織の神として祀られています。養蚕に機織りと来れば、秦氏の関与があると感じられますね。

建穂寺は駿河では久能寺と並ぶ駿河有数のお寺だったようですが、両方の寺を結ぶ直線上に駿府城があるのは何か意味があるのでしょうか?

続いて建穂寺の観音堂へ。

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観音堂です。立派な仁王像があります。

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解説板。

建穂神社から観音堂に至る一帯がかつての建穂寺の寺域と思われ、当時は300以上の伽藍を有する大寺院でした。

観音堂から九住谷川を遡ると洞慶院に至ります。谷戸の奥の静かなお寺で、元々は馬鳴大明神の社僧寺であったとのこと。ここも秦氏との関連が窺われます。

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解説板。

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龍門橋の四本杉。心を清浄にする結界のような杉の配置です。

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本堂です。

洞慶院奥の谷筋からは静岳石が産出すると昔の水石の本に書かれています。行ってみたいとも思いましたが、予定時間をオーバーするので諦めました。

                 ―東海の秦氏 その7に続く―

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酔石亭主

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