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鎌倉散歩 東勝寺跡周辺


以前の記事「新田義貞鎌倉攻めの謎を解く」において、稲村ケ崎渡渉伝説の謎を追及しました。これが鎌倉の始まりと終わりに繋がる問題だったからです。本来なら鎌倉幕府の最後についても書くべきでしたが、こちらはほとんど触れていません。そこでこの機会にざっと書いてみたいと思います。

元弘3年(1333年)5月22日、稲村ケ崎を越えて鎌倉市中に新田勢が乱入、各所で激闘が繰り返されました。市内の至るところで火の手が上がり、もはやこれまでと悟った北条高時は一門283人とともに東勝寺にて腹を切り、総勢870余人が亡くなります。ここに日本初の武家政権鎌倉幕府は崩壊したのです。

そして、鎌倉幕府終焉の地が東勝寺でした。寺は残念ながら現存していません。しかし跡地はあるので、東勝寺跡周辺をもう一度歩いてみます。


大きな地図で見る
グーグル地図画像です。

東勝寺跡は鎌倉駅や鶴岡八幡宮から比較的近く、行きやすい場所にあります。手前を流れる川は滑川です。滑川の手前に解説石板がありました。

東勝寺に関連するものと思いきや、さにあらず。青砥藤綱の伝説に関係した石板でした。

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青砥藤綱の解説石板。内容はご存知の方が多いと思いますが、大略以下の通り。

藤綱が夜に入って出仕の際、誤って十文を川に落としたので、五十文を払って松明を買い、捜させました。人は小さな利益のために大損したと嘲笑ったのですが、藤綱はこれに対して、十文は小額であってもなくせば天下のお金を損ずることになる。五十文は損と言っても人に益するものだ、と答えたそうです。

藤綱の屋敷は滑川のもっと上流の青砥橋の近くにあったとされているので、東勝寺近くでの逸話が本当かどうか実際のところは不明です。大体夜中に出仕するのもおかしいですね。緊急招集がかかったなら、それもあり得ますが、でしたら松明を買って川を探させる余裕などありません。さらに言えば、藤綱が実在の人物かどうか議論の分かれるところです。

滑川にかかる橋を渡ります。橋の名前は東勝寺橋で、解説板もあります。

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解説板。

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東勝寺橋です。

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滑川。渓谷のような趣が残っています。

川を渡ると東勝寺の敷地になると思われるのですが、グーグル地図画像を拡大するとわかるように多くの住宅が並んでいます。こんな場所に家を建てて怖くないのでしょうか?新しい家も多いようですが、多分歴史を知らずに買ったのでしょう。

などと思いながら、東勝寺跡へ。

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解説板がありました。

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東勝寺跡です。

やぐららしきものも見られます。金網が厳重に張ってあり中へは入れません。そのまま山の方へと向かいます。すると…。

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山道の左手に解説石板がありました。

繁栄を極めた町が炎に包まれるのを見て高時は自害した云々と書いてあります。そのさらに左手奥にあるのが、泣塔と並ぶ鎌倉最怖の心霊スポット高時腹切りやぐらです。

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やぐらです。

以前訪問した際は雨上がりで道はぬかるみ、やぐらも暗く陰惨な雰囲気でした。しかし今回は明るいこともありそんな感じはありません。第一、やぐらのすぐ上がハイキングコースになっているのです。歩く足の真下に怖いとされるやぐらがあるのですが、多くの方にとっては知らぬが仏なのでしょう。

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ハイキングコースの案内板。

そもそも高時が腹を切ったのは、やぐらのある場所ではなく、東勝寺です。このやぐらは北条一族や僧侶の供養のために造成されたもののはず。そう考えれば怖くはありません。しかもここに高時のお骨はなく、あるのは供養塔だけ。彼らのお骨は、釈迦堂切通し近くにあった釈迦堂で供養されているのです。

以下Wikipediaより引用します。

鎌倉市浄明寺の釈迦堂谷奥山頂部には、「宝戒寺二世普川国師入定窟」と伝える巨大なやぐらを中心に釈迦堂奥やぐら群と称する多数のやぐら群が存在した。やぐら群には多量の生焼けの人骨があった。昔から東勝寺での戦死者の遺体をこのやぐら群に葬ったとの伝承があった。昭和40年代の宅地開発の際にやぐらが破壊され、「元弘三年五月廿八日」の銘のある五輪塔の一部が発見された。まさに東勝寺合戦の初七日の供養をしめすものであり、伝承が事実であったことがわかった。やぐら群は昭和40年頃に宅地造成によって主要部が破壊されたが、一部は現存しているという。


以上より、腹切りやぐらの事実関係がはっきりします。このやぐらで高時は腹を切っておらず、高時のお骨もここになく、あるのは鎌倉ならどこでも見られる供養塔にすぎないのです。なのに、高時腹切りやぐらと書かれたことでその言葉に呪縛されてしまい、怖い場所だという意識が定着しました。

北鎌倉八雲神社にある安倍晴明の晴明石も同様です。知らずに踏めば足が丈夫になるが、知っていて踏めば不幸になる。そうしたことが一旦伝えられ書かれると、誰も意図的に石を踏めなくなるでしょう。言葉が人の心を呪縛するのです。

秦氏の仕掛けはずっと大掛かりですが、基本は全く同じです。通常こうした禁忌の背後には何か重要な秘密や宝物が隠されています。従って、禁忌の背後にあるものを追及していくと、思わぬ事実に遭遇するケースが多々あるのです。

さて、腹切りやぐらが怖い場所だと言う意識が定着し、ここで急に気分が悪くなった(多分、前日お酒を飲みすぎていたのでしょう)などという情報が加わると、心霊スポットへの道を歩み始めます。一旦そうなれば、情報はどんどん独り歩きし、拡散していきます。最後には、鎌倉最怖の心霊スポットなんていう称号を与えられるのです。

700年近くも過ぎてから妙な取り上げられ方をして、地下の高時は苦笑いしているのではないでしょうか?今の私たちと違い、鎌倉武士にとって死は常に傍らにあるものです。戦に勝って栄達するのも、負けて死ぬのも、どちらもありふれた日常のこと。そんな彼らに、敗れて死んだからと言って怨念が残るとは思われません。だから、あまり怖い怖いと騒がない方が良さそうです。

今日から高時腹切りやぐらは、心霊スポットなどではなく、鎌倉幕府の終焉に思いを馳せる場所としましょう。
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