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関東平氏の鎌倉 その12


前回からずいぶん時間が経過してしまいました。今回も藤沢における妙見信仰の痕跡を見ていきましょう。過去に何度も登場した龍口寺に再登場してもらいます。

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龍口寺仁王門の彫刻です。

龍が彫られています。ここが5頭竜伝説の地であると再認識させられます。境内には龍の口刑場跡があり、日蓮が斬首されそうになった「龍ノ口法難」の場所とされています。

日蓮は千葉氏の千葉神社を崇敬しています。千葉神社ホームページによれば以下の通り。

鎌倉時代、日蓮が宗門の興隆を祈願すべく参詣した際にありがたい吉祥があり、日蓮はこの妙見神こそ我が宗門の守護であるとされたそうです。現在でも日蓮宗では妙見大菩薩を信仰の対象としており、日蓮は請願成就ののち自筆の法華経を奉納しました。


日蓮の生誕地は旧安房郡天津小湊町(現千葉県鴨川市)の小湊であり、千葉氏の妙見信仰は子供のころからなじみやすいものだったとも思われます。日蓮宗大本山となった清澄寺がある山は、標高383mの妙見山であることからも、それが見て取れます。清澄寺に関しては以下鴨川市のホームページより引用します。

日蓮聖人修行の地、そして日蓮宗立教開宗の聖地として知られる日蓮宗大本山清澄寺は、天台宗の寺として開創されましたが、その後、真言宗を経て、昭和24年に日蓮宗へ改宗し現在に至っています。
日蓮宗の開祖日蓮は、天福元年(1232)5月12日、12歳の時、小湊からこの寺に入り、道善法師に師事し、出家得度。勉学修行に励んだ日蓮聖人はさらに諸国を出て、各宗の奥義を学び建長5年(1253)4月28日、32歳の時帰山。旭が森で立教開宗の第一声をあげました。


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大本堂屋根と五重塔。

日蓮を開祖とする日蓮宗にとって龍口寺が非常に重要なお寺であれば、ここには妙見関連の施設があるはずです。と思って見廻すと…。

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光松妙見堂です。

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石柱。

以前法善坊と呼ばれていた光松妙見堂は享保5年(1720年)の建築で、それほど古いものではありません。堂内には龍口法難光の松に彫られた妙見大菩薩尊像が安置されているそうです。外からでは見えませんが…。

以上から、龍口寺における妙見堂は日蓮幼少期における妙見信仰あるいは千葉神社の関連かと思われましたが、必ずしもそうとは言えなさそうです。彼は伊勢神宮にも赴いており、度会氏の氏寺であった天台宗浄明寺に参籠、その折に妙見菩薩が示現し、法華経行者守護の誓いを立てたとされているからです。

伊勢山の妙見碑は度会氏の関係と推測したのですが、龍口寺も同様に度会氏との関連を捨てきれません。日蓮と日蓮宗における妙見信仰は、千葉氏の関連あるいは度会氏の関連のいずれの可能性もあると言えるでしょう。

龍口寺の本堂脇から七面堂に続く石段を登ると、やぐららしきものが左手に…。

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穴の入口。

随分と深そうに思え、足を踏み入れました。中は洞窟となってずっと奥まで続いているので、これはやぐらではありません。防空壕あるいは旧陸軍の地下壕のようです。軍事基地のある光景に戻ったような気分になりました。

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地下壕に入ったところ。

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恐る恐る前に進みます。

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さらに一枚。

内部は真っ暗で懐中電灯がないとこれ以上進めません。落盤の危険もあるので、と言うより臆病風に吹かれただけですが、奥には行きませんでした。

まだあるかもしれないので探してみます。ありました。大本堂裏手にも穴が…。

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大本堂裏手の地下壕入口。現在入り口が塞がれていない地下壕は稀だと思われます。

家に帰ってから調べてみると、大本堂裏手の地下壕はアリの巣のように相当奥深くまで穴が掘られていると判明しました。二つの地下壕は境内背後の山全体に広がり、陸軍の掘ったものとされています。しかしこんな地下壕でどう米軍の侵攻を食い止めるつもりだったのでしょう?

単にトンネルが掘られているだけで、高射砲などの防衛施設はありません。だったら、地元の方たちの防空壕あるいは寺の寺宝を隠すために掘った穴と言う可能性も出てきます。

一応陸軍の地下壕と言うことにして、なぜここに地下壕があるのでしょう。実は湘南海岸一帯各地には日本軍の軍事施設が数多くあります。披露山公園、稲村ケ崎、江の島、高麗山、吾妻山などです。これらは、第二次世界大戦中に日本軍が構築した防御遺構ですね。

現在は若い人たちで賑わう湘南も、終戦の直前は非常に危険な状況の一歩手前にありました。米軍はコロネット作戦(Operation Coronet )という本土上陸作戦を策定していたからです。作戦はダウンフォール作戦(Operation Downfall)の一部を構成し、湘南の茅ヶ崎と九十九里浜へ同時上陸するものです。日本軍は米軍の意図をほぼ正確に察知し、本土上陸を阻止するため湘南の各地に防御施設を建設したのです。龍口寺の地下壕もその一つと言うことになるでしょう。

米軍の作戦地図を見ると、茅ヶ崎近辺に上陸してから真っ直ぐに北上しつつ、一部の部隊は海岸沿いに三浦半島へ入り、横須賀基地や東京湾の守りとなっている観音崎要塞などを陸から攻撃。主力はなおも北上してまた一部が海老名辺りから横浜方面へ向かい、さらに北上する部隊が相模原辺りでそのまま内陸に向かう部隊と東京に進撃する部隊に分かれ、九十九里浜からの上陸部隊と東京で会合するような形になっています。

なお、Coronetとは婦人の頭飾りを意味しますが、北上しつつ東に幾つも分岐する部隊の様子がちょうど羽飾りのように見えることから、そう名付けられたようです。

作戦名は何とも可愛らしいのですが、三浦半島へ向かう部隊は藤沢市、鎌倉市、逗子、葉山などを蹂躙しつつ行軍するので、風光明美な湘南一帯は完全に踏みにじられ焦土と化すことになったでしょう。

作戦は史上最大の作戦とされたノルマンディー上陸作戦をはるかに凌ぐ大規模なものでした。日本が徹底抗戦を続け、この作戦が実施されていたら…、明るい湘南を代表する加山雄三もサザンも存在していなかったかもしれません。

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コロネット作戦図。


              ―関東平氏の鎌倉 その13に続く―
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