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関東平氏の鎌倉 その14


今回は長尾氏の足跡を訪ねて長尾台に向かいます。さすがにチャリンコでは厳しいので車で行くことにしました。


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グーグル地図画像。

画像の御霊神社が長尾氏の居館跡とされています。長尾氏に関しては以下Wikipediaより引用します。

長尾氏は桓武平氏の流れを汲む鎌倉氏の一族である。鎌倉氏自体が、相模の古代豪族の末流だとする説も有力だが、長尾氏が鎌倉氏一門の古い一族であることは確かである。長尾の家名は、鎌倉景明の息子で大庭景宗の弟である景弘が、相模国鎌倉郡長尾庄(ながおのしょう、現在の横浜市栄区長尾台町周辺)に住んで長尾次郎(ながお じろう)と称したことに始まリ、坂東八平氏のひとつに数えられる。
源頼朝が挙兵したとき平家の側につき、さらに平家滅亡後は同族・三浦氏の配下となった。長尾新六定景は公暁を討ち取るという功績も挙げたが、宝治合戦で一族がほぼ全滅・没落した。長尾家のわずかな生き残りは、鎌倉時代末期から南北朝時代初頭頃に関東へ入部した上杉氏に仕えた。


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神社の鳥居。

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御霊神社。

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御由緒。読みづらいので以下記載します。

長尾臺御霊神社並由緒
鎌倉郡豊田村長尾臺字宮之前参百七十二番地
村社御霊神社

一、祭神 大国主命
一、由緒 鎌倉権五郎の景政の玄孫景弘始めて長尾の地に住し長尾次郎と称す是長尾氏の祖なり景弘の長子新五為景己が祖先を奉斉せる村岡村宮前御霊宮の分霊を勧請し当神社を創立せり後相原天皇の御代永正の頃社領二段を有せり


幾つか疑問があります。なぜ御霊神社の祭神が大国主命なのでしょう?そもそも村岡の宮前御霊神社の祭神に大国主命はいないのです。また鎌倉権五郎景政の玄孫が景弘もよくわかりません。まあ、鎌倉氏の流れは諸説ありどれが正しいのかは決められないのですが…。

ちなみに、二伝寺の石板では、景村―景明が長尾氏の祖となっています。その次が景弘と言うことになります。あるいは景経―景忠―景弘と言う説も…。一応鎌倉氏の部分は不明として以下のような系図としました。

平良文―忠通―(鎌倉氏)―景弘(長尾次郎)―長尾定景…長尾景虎(上杉謙信)

驚いたことに戦国武将の上杉謙信は長尾氏の子孫なのです。こんな場所から超有名人の先祖が出ているなんて面白いですね。酔石亭主は藤沢以前この近くに居住していたこともあり、親しみを覚えてしまいます。

なお長尾定景は、三代将軍源実朝を殺害した公暁を討った人物として有名です。定景の墓所は後で見に行きましょう。(実際には藤沢に近い定景の墓所を先に訪問)

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長尾氏の居館跡解説板。

次回は長尾城跡を訪ねます。

              ―関東平氏の鎌倉 その15に続く―
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