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秦さんはどこにいる?その20


秦さんシリーズも結構長続きして、20回目となってしまいました。今回は埼玉県と千葉県の秦姓を見ていきます。

埼玉県:全体で160人。川越市45人。さいたま市西区11人。それ以外は一桁で分散。
千葉県:全体で126人。長生郡一宮町17人。船橋市14人。それ以外は一桁で分散。

埼玉県は川越市に秦姓が圧倒的に多く、分布に偏りが見られます。渡来人が多いと思われる熊谷市、比企郡、入間郡(毛呂町のみ2人)などは軒並みゼロでした。新座市もたったの2人です。高麗姓で見ても、朝霞市の13人を除けば分散して結果はほとんど同じです。

668年の高句麗滅亡後日本に亡命した高句麗人は約1799人とされています。それがほとんどいなくなったとは、本当に不思議ですね。秦氏のように本姓を維持せず日本化したのかもしれません。将来、消えた高句麗系渡来人の謎解きにでも挑戦したら面白そうに思えます。

川越市の秦姓集中は理由が不明です。川越には秦氏地名がほとんどないことから、久我山の秦氏同様比較的近年に入植した可能性があります。中世の川越において勢力を持ったのが河越氏です。河越氏は桓武平氏に連なる坂東八平氏の1つ秩父氏の嫡流でした。秦氏とは関係ありそうに思えません。

川越市には笠幡と言う地名があり、元は高麗郡笠幡村であったことから渡来系の居住する地であることは確かです。しかし高麗氏と秦氏は別の氏族。川越市の秦さんは手掛かりがありません。図書館で郷土史を調べるとともに、地元郷土史家のご意見を聞きたいものです。

唯一の可能性としては、高麗氏が大磯に上陸してから関東各地に移住するに際して、秦氏も同行していたと言うものです。神奈川県大磯町の高麗山の麓には高来神社があり、神社の別当寺であった高麗寺(現在は廃寺)の梵鐘建造に当たり大檀那として秦氏の名前があるからです。高来神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

高来神社(たかくじんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する神社。高麗神社とも呼ばれる。旧社格は郷社。社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる。


ところが川越市の高麗姓はゼロで辻褄が合いません。埼玉県の高麗姓は全体でも43人です。やはり高句麗系渡来人はどこかに消えてしまったようです。

さいたま市には秦テーラー、秦クリーニング店があります。上尾市にも秦工務店がありました。ところが川越市には秦を冠した社名がありません。これも不可解です。

既に書いたように、埼玉には幡羅郡(現在の熊谷市一帯)には幡羅郷があり、上秦郷(かみつはた)・下秦郷(しもつはた)が置かれていました。幡羅郡は7世紀頃に成立したとされますので、これとほぼ同時期に、朝廷の政策によって、秦氏も含めた渡来人が関東の各地に入植し、開拓に従事したのではないかと推測されます。けれども、熊谷市に秦姓の方は居られません。

埼玉県深谷市はかつて武蔵国榛沢郡榛沢郷があり、何となく匂います。調べて見ると深谷市新戒300に古櫃神社があり、解説板には以下の内容が書かれています。

古櫃神社(新戒)
全国で唯一の社名をもつ当社は、新戒の鎌倉街道北側に鎮座している。創建は鎌倉期秦河勝の裔で、新開荒次郎忠氏が肥沃な当地に館を構え、祖神の大荒明神を勧請し、伝来の社器を櫃に入れて社の下に納め、館の守護神としたことによると伝える。新開荒次郎忠氏は鎌倉時代丹党の旗頭で、源頼朝の重臣なり。…以下略。


古櫃とは契約の聖櫃みたいなイメージの言葉です。しかし深谷市の秦姓は1人、新開姓も同様に1人でした。埼玉県の秦さん関連は実地調査を入念にしない限り理解不能なようです。

千葉県では長生郡一宮町に17人も秦姓の方が居られます。長生郡で気になるのは、山中湖周辺の長池村には徐福伝承があり、以前は長生村と呼ばれていたことです。もしかしたら山中湖の秦氏がこの地に移住したのかもしれません。(何の根拠もありませんが…)


大きな地図で見る
長生郡一宮町を示すグーグル画像。長生村もあります。

一宮町では細田横穴群や柚ノ木横穴群などの横穴群が見られ、古い土地であると確認できます。町域に鎮座する玉前神社が上総国の一宮であったことから、一帯は一宮庄と称されました。

東波見地区には矢畑、矢畑新田など秦氏系と思われる地名が見られます。また一宮町の町議会議長が秦さんでした。会社名では㈱秦組があります。

しかしなぜこの地域に秦姓が多いのでしょう?推測するには、秦姓以外でチェックしてみるしかありません。秦から派生した姓は多くないので、一宮町に多く頭に長の付く姓を見たところ、長谷川姓が二番目で60人居られました。これがヒントになりそうです。

金春禅竹の「明宿集」には、秦川勝が武芸を伝えた子の子孫は長谷川党であると書かれています。長谷川は大和を流れる初瀬川に由来しています。田原本町には秦川勝ゆかりの法貴寺があり、秦川勝が聖徳太子から賜った薬師三尊を献上して建立されたとされ、川勝の子である秦明高の墓と伝えられる五輪の塔もあるそうです。

だとすれば、長谷川党の祖先は秦明高なのでしょうか?(五輪塔は平安末期から使われていますので、秦明高の死後直ちに建てられたものではありません)「明宿集」の内容は伝説的で鵜呑みにはできないし、そもそも秦氏のありようからして武士にはならないはずです。

いずれにせよ、法貴寺は初瀬川に勢力を持っていた長谷川党の氏寺でした。鬼平犯科帳の長谷川平蔵も長谷川党の一員です。法貴寺境内には池坐朝霧黄幡比賣神社と言う神社が鎮座しており、秦氏が崇敬した機織りの神社です。

以上から推測するに、長生郡一宮町においては長谷川姓と秦姓がペアになっていると思われます。ただ長谷川姓はどこでも見られますので、ほとんど当てずっぽうですが…。

ちなみに埼玉県の長谷川姓を見ると、全体で3456人、熊谷市が251人で最も多く、行田市199人、久喜市161人、川越市148人と続きます。熊谷市は秦氏地名があるのに秦姓がなく、長谷川姓でトップ。秦姓の最も多い川越市では、長谷川姓が県内で四番目となっています。どうも秦・長谷川両姓に関連がありそうな結果となりました。(長谷川姓はどこにでもあるので、単なる偶然かも知れませんが…)

埼玉県と千葉県の秦姓は、実地調査しない限り歯が立たないと言うのが実感です。
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