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秦さんはどこにいる?その21


今回は茨城県、栃木県、群馬県を見ていきます。

茨城県:全体で29人。各地に分散して偏りはない。
栃木県:全体で18人。佐野市に10人と集中。
群馬県:全体で17人。各地に分散して偏りはない。

茨城県は検討不要。群馬県では伊勢崎市宮前町赤城神社にある貞治5年(1366年)の多宝塔に秦姓の名前が彫られています。伊勢崎市で織物が盛んなのは、秦氏の関連とも思われます。

栃木県では佐野市に秦姓が集中しています。市内に秦園芸店もありました。例幣使街道に沿って金吹町、金屋下町、金屋仲町、大祝町、金井上町、大蔵町など金属関連や秦氏を連想させる大蔵があります。でも、これだけでは秦氏と関連付けられません。さらに検討してみましょう。

神武天皇が上陸した佐野浜(和歌山県新宮市)は、天皇の名の狭野命から名付けられています。新宮市と言えば…、徐福も新宮市に上陸したとされています。中国サイドで唱えられている神武天皇=徐福説も根拠なしとは断定できないですね。佐野市に関しては以下Wikipediaより引用します。

佐野市(さのし)は、栃木県南西部(安足)に位置する市。旧安蘇郡。2005年2月28日に旧佐野市、安蘇郡田沼町、同郡葛生町の新設合併により発足。


安蘇郡(あそぐん)の安蘇は海人系の地名で秦氏が後を辿って入った可能性はあります。一帯は古墳時代に独自の文化圏を形成していた場所。この地には一瓶塚稲荷神社があります。佐野市観光協会の一瓶塚稲荷神社の縁起には、「平将門征伐で功労のあった鎮守府将軍俵藤太秀郷公が、天慶5年相州鎌倉松ヶ岡稲荷大明神に詣で、下野国富士村に勧請し衣食住の祖神、商売繁盛の守護神として創建されました」などとありました。天慶5年は942年です。

思わぬところで鎌倉の地名由来に関連する重要事項が出てきました。酔石亭主は鎌倉の地名由来を、藤原鎌足が鎌を大蔵の松ヶ岡に埋めたことによると推定しています。松ヶ岡稲荷は現在の鶴岡八幡宮脇に鎮座する丸山稲荷神社の前身であり、当然秦氏系の神社です。詳しくは「鎌倉の地名由来を考える」2010年6月22日、「鎌倉の地名由来を考える 続編」2010年7月9日をご参照ください。

その松ヶ岡稲荷を下野国富士村に勧請した際、秦氏が同行したとも考えられます。富士村の名前自体匂いますね。なお、俵藤太秀郷は藤原秀郷で藤沢北家・魚名の後裔とされています。藤沢北家の祖は房前で祖父が鎌足となります。

つまり藤原秀郷は先祖の藤原鎌足が大蔵の松ヶ岡に鎌を埋めた、すなわち秦氏の松ヶ岡稲荷大明神に鎌を奉じた故事を知っており、下野国に勧請したと考えられるのです。

秦さんシリーズのおかげで、鎌足説を補強することができました。なお、この時代には「関東平氏の鎌倉」で書いた平良文も活躍しています。

上記から平安時代の鎌倉における、松ヶ岡稲荷大明神の重要度が見て取れます。それを知るから頼朝は、鶴岡八幡宮を松ヶ岡の地に鎮座させたのです。面白いことに、秦野の波多野氏は前九年の役で活躍した佐伯経範が祖とされていますが、後に藤原氏に改め藤原秀郷流を称しています。

もう一点、以前気になったことがあります。下野国上毛野・下毛野と秦王国のあった豊前国上毛・下毛がよく似た地名であることです。ひょっとしたら、両者は同じではないでしょうか?「古事記」によれば上毛野君や下毛野君の祖は豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)で、崇神天皇の第1皇子。天皇の命で東国を治めました。

豊城入彦命の名前は特徴的で豊(=秦氏)の城に入った男を意味しています。下野国には秦氏の支配地域があり、豊城入彦命が下ったと考えれば辻褄も合います。佐野市に秦姓の多い理由はそこにあるとしたいのですが…、いかがなものでしょう?ちょっと無理がありそうですね。
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